ヘンな映画である。最初から終わりまで、違和感しか覚えない。ただし世評は高いようだ。こういうパターンに過去に遭遇したように思ったが、それはロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(94年)であることに鑑賞後に気付いた。あの映画もアカデミー賞を総ナメにするほど高評価だったが、個人的には面白さが感じられなかった。たぶんアメリカ人ならばピンと来るのだろうが、この“素材に対して思い入れのある者しか分からない”という構図は本作と一緒だ。
千葉県に住む小学生のミー坊は三度の食事より魚の生態が好き。父親は個性的すぎるミー坊を心配するが、母親はミー坊のキャラクターを認めていた。高校生になっても魚のことにしか興味が無く、いつの間にか不良どもに絡まれていても当事者意識ゼロ。それどころか彼らと仲良くなってしまう。ところがミー坊は魚以外のことはからっきしダメで、進学には失敗し、職を得ても上手くいかない。だが、思わぬ出会いから道が開けてくる。さかなクンの自叙伝を元にして劇映画として仕立て上げられたシャシンだ。
まず、困ったことに私はさかなクン自体に興味が無い。また、映画として門外漢にでも興味が持てるような仕掛けも見当たらない。要するに、さかなクンのファンおよび理解者だけを対象にした作品なのだと思う。強すぎる個性を持った主人公が、ファンタジー風味の御都合主義的な展開を経て世に出る過程を笑って見ていられる層ならば、満足出来るのだろう。当然のことながら、私のような“部外者”はお呼びではない。
主演は“のん”こと能年玲奈だが、男性であるさかなクンを女優が演じることの居心地の悪さを感じずにはいられない。冒頭に“性別は関係ない”みたいなテロップが流れるが、余計なエクスキューズだろう。「フォレスト・ガンプ」と同じく、個人的には関係の無いキャラクター設定だ。また、意外と魚介類の生態を大きくクローズアップした部分が少ないのも、何か違う気がする。魚類の持つ独特の魅力を強くアピールしないでどうするのかと思うばかりだ。そして自然の神秘を強調するような映像の美しさにも欠けている。
沖田修一の演出は今回は可も無く不可も無し。柳楽優弥に夏帆、磯村勇斗、岡山天音、井川遥、宇野祥平、鈴木拓、島崎遥香、そしてさかなクン自身と、キャストは多彩。しかし、総花的であまり印象に残らず。CHAIによる主題歌だけは良かった。
千葉県に住む小学生のミー坊は三度の食事より魚の生態が好き。父親は個性的すぎるミー坊を心配するが、母親はミー坊のキャラクターを認めていた。高校生になっても魚のことにしか興味が無く、いつの間にか不良どもに絡まれていても当事者意識ゼロ。それどころか彼らと仲良くなってしまう。ところがミー坊は魚以外のことはからっきしダメで、進学には失敗し、職を得ても上手くいかない。だが、思わぬ出会いから道が開けてくる。さかなクンの自叙伝を元にして劇映画として仕立て上げられたシャシンだ。
まず、困ったことに私はさかなクン自体に興味が無い。また、映画として門外漢にでも興味が持てるような仕掛けも見当たらない。要するに、さかなクンのファンおよび理解者だけを対象にした作品なのだと思う。強すぎる個性を持った主人公が、ファンタジー風味の御都合主義的な展開を経て世に出る過程を笑って見ていられる層ならば、満足出来るのだろう。当然のことながら、私のような“部外者”はお呼びではない。
主演は“のん”こと能年玲奈だが、男性であるさかなクンを女優が演じることの居心地の悪さを感じずにはいられない。冒頭に“性別は関係ない”みたいなテロップが流れるが、余計なエクスキューズだろう。「フォレスト・ガンプ」と同じく、個人的には関係の無いキャラクター設定だ。また、意外と魚介類の生態を大きくクローズアップした部分が少ないのも、何か違う気がする。魚類の持つ独特の魅力を強くアピールしないでどうするのかと思うばかりだ。そして自然の神秘を強調するような映像の美しさにも欠けている。
沖田修一の演出は今回は可も無く不可も無し。柳楽優弥に夏帆、磯村勇斗、岡山天音、井川遥、宇野祥平、鈴木拓、島崎遥香、そしてさかなクン自身と、キャストは多彩。しかし、総花的であまり印象に残らず。CHAIによる主題歌だけは良かった。