(原題:Running on Empty)88年作品。高い人気を誇りながらも若くして世を去った俳優リヴァー・フェニックスの代表作は何かと聞かれれば、大抵の人は「スタンド・バイ・ミー」(86年)だと答えるのだろうが、あれは“主要登場人物の中の一人”という扱いだ。純粋な主演作としては、この映画こそが彼のマスターピースだと思う。
主人公ダニーは両親と弟と暮らす、一見平凡な高校生だ。しかし、この一家には誰にも言えない重大な秘密があった。実は彼の両親は、60年代に反体制派の活動家としてテロ行為に手を染めた容疑で、FBIから指名手配されていたのだ。そのためダニーは幼い頃から各地を転々とし、そのたびに名前や髪の色を変えるなどして世間から身を隠していた。だが今回の引っ越し先であるニュージャージーの高校では、音楽教師からピアノの才能があることを認められ、音大への進学を奨められる。さらには教師の娘であるローナと恋仲になり、初めて普通の若者らしい生活を手に入れるかに見えた。だが、両親のかつての同志が突然訪れ、秘密をばらそうとしたことで事態は急展開する。
監督が社会派サスペンスの名手であるシドニー・ルメットであることは少し意外だった。幾分社会問題風のネタに触れているとはいえ、このような青春ドラマと相性が良いのかどうか判然としなかったのだ。しかし、実際観てみるとルメットのスクエアーな演出力が、R・フェニックスの清新でナイーヴな持ち味と合致し、目覚ましい求心力を発揮していることに驚いた。
マトモな人生を歩むことを小さい頃から遠ざけられてきた主人公が、思わず直面した転機に戸惑い、そして悩む。その内面の逡巡が観る者に痛いほど伝わってくる。一方で両親の昔の仲間が引き起こす事件には、この監督の持ち味である骨太なドラマ構築力が活きて、目が離せない。そしておそらくは観客の目頭を熱くさせたと思われるラストシーンでは、演者のパフォーマンスと揺るがない演出が見事にマッチし、大いに盛り上がる。
R・フェニックスと交際していたと言われるマーサ・プリンプトンをはじめ、クリスティーン・ラーティ、ジャド・ハーシュ、ジョナス・オブリーら他のキャストも万全。トニー・モットーラの音楽とジェリー・フィッシャーの撮影は及第点。なお、原題の“ランニング・オン・エンプティ”とは“空っぽの状態で走り続ける”といった意味だが、個人的にはジャクソン・ブラウンの同名のヒット曲(77年リリース、邦題は“孤独なランナー”)を思い出してしまった。