(原題:L'argent)83年作品。「スリ」(1959年)や「少女ムシェット」(1967年)など、シビアでストイックな作風で知られるロベール・ブレッソン監督が最後に撮った映画である。通常、尖った演出スタイルが身上の作家は年齢を重ねるたびに“丸く”なっていくらしいが、ブレッソンに限ってはこの遺作においてラジカルなテイストはピークに達している。とにかく85分という短い尺ながら、その重量感は尋常ではない。第36回カンヌ国際映画祭における監督賞をはじめ多くのアワードを獲得しているが、十分納得できる。
パリに住むブルジョワ少年が、借金のある友人に返済の先延ばしを頼むが、相手はニセ札を使ってお釣りをせしめろと言う。少年はニセ札を写真店で使うが、ニセ札を掴まされた店の主人夫婦は、その札で燃料店への支払いに使ってしまう。燃料店の従業員イヴォンがそれに気付かずレストランで使おうとすると、たちまちバレて警察に拘束。無実を訴えるが、写真店の店員の偽証により服役を余儀なくされる。その間、妻と子は不幸な目に遭い、ようやく出所したイヴォンには何も残されていなかった。文豪トルストイの「にせ利札」の映画化だ。
善良だったイヴォンが、周囲の人間たちの悪意によって坂道を転げ落ちるようにダークサイドに飲み込まれてゆく。ブレッソンの演出には、扇情的なテイストは皆無。冷徹に、イヴォンの迷走を追うのみだ。それが却って衝撃度を増進させていく。
我々の日常生活には無数の陥穽が口を開けており、それは当事者の資質などに関係なく、近付く人間を容赦なく引きずり込む。この不条理極まりない現実は、ストレートにはかなり映画にしにくい。若干のエモーショナルなモチーフを伴った因果律が無ければ、スノッブなドキュメンタリーもどきのシャシンに終わってしまう。だが、そんなリアルな不条理を真正面から映像化してサマになる作家は数少ないながら存在していて、ブレッソンはその第一人者だ。
セリフや登場人物の感情表現は最小限に抑えられていながら、映像は隅々まで精査されており、並々ならぬ濃厚さを醸し出している。主演のクリスチャン・パティをはじめ、カロリーヌ・ラング、シルビー・バン・デン・エルセンといった顔ぶれは馴染みが無いが、皆ブレッソンの過酷とも思われる演技指導に十分に応えている。
それにしても、ラスト近くの処理には身震いした。なお、トルストイの原作は二部構成で、第二部は主人公の更生が描かれているというが(私は未読)、この映画化はひたすら暗転する第一部のみだ。このあたりも実にブレッソンらしいと言えよう。