1957年東宝作品。先日逝去した石原慎太郎は作家及び政治家として知られていたが、俳優として何本か映画にも出ている。本作はその中の一本で、出来自体は正直大したものではないが、現代にも通じるテーマ設定と不穏な空気感が印象的なシャシンだ。なお、私はこの作品を某映画祭で観ている。
資産家の三原準之助の長男健司が、帰校の途中何者かに誘拐される。犯人からは“身代金を渋谷東宝前に持って来い。警察に届けると子供の命は無い”との脅迫文が家族に届いたが、健司の姉の葉子は躊躇わずに警視庁に通報する。彼女と担当の小野塚刑事とのやり取りを立ち聞きした新聞記者の今村は警察に取材するが、犯人逮捕までマスコミ報道を控えるということで合意を得た。
ところがこの話を聞きつけた三流新聞社の冬木は、勝手にこのネタを紙面に載せる。おかげで身代金受け渡しの場所に犯人は現れず、逮捕は未達に終わるが、冬木は特ダネを得たことで大威張りで、後悔する様子はまったく見られない。さらに葉子に犯人への手紙を書かせるという、あり得ない暴挙にも出る。しかし、事件は冬木の悪ノリをよそに思わぬ結末を迎える。
言うまでもなく本作の主題はマスコミの暴走に対する糾弾であり、これは現在でもまったく色あせないテーマだ。それどころか今ではマスコミ人種だけでなくSNS上に徘徊する無責任なネット民たちが、真偽不確かなネタを振り撒きながら事態を混乱させている。冬木のキャラクターはそれを体現化したもので、どんなことをやらかしても謝罪も反省もなく、英雄気取りで自分が正しいと信じ込む。
冬木を演じているのが石原で、率直に言って演技は褒められたものではない。セリフは棒読みで身体のキレも悪い。この点、弟の裕次郎とはかなり差がある。しかし、冬木の人と人とも思わない傲慢な態度は、現実の石原の言動と微妙にクロスしてこれがけっこう面白い。もしも彼が政治家への道に進まずに俳優業を続けていたならば、非情な悪役が得意なバイプレーヤーになっていたかもしれない(笑)。
鈴木英夫の演出は他の監督作と比べると粘りが足りないが、小沢栄太郎に多々良純、司葉子、仲代達矢、志村喬、そして三船敏郎や宮口精二といった多彩なキャストが場を盛り上げている。芥川也寸志の音楽も良い。
資産家の三原準之助の長男健司が、帰校の途中何者かに誘拐される。犯人からは“身代金を渋谷東宝前に持って来い。警察に届けると子供の命は無い”との脅迫文が家族に届いたが、健司の姉の葉子は躊躇わずに警視庁に通報する。彼女と担当の小野塚刑事とのやり取りを立ち聞きした新聞記者の今村は警察に取材するが、犯人逮捕までマスコミ報道を控えるということで合意を得た。
ところがこの話を聞きつけた三流新聞社の冬木は、勝手にこのネタを紙面に載せる。おかげで身代金受け渡しの場所に犯人は現れず、逮捕は未達に終わるが、冬木は特ダネを得たことで大威張りで、後悔する様子はまったく見られない。さらに葉子に犯人への手紙を書かせるという、あり得ない暴挙にも出る。しかし、事件は冬木の悪ノリをよそに思わぬ結末を迎える。
言うまでもなく本作の主題はマスコミの暴走に対する糾弾であり、これは現在でもまったく色あせないテーマだ。それどころか今ではマスコミ人種だけでなくSNS上に徘徊する無責任なネット民たちが、真偽不確かなネタを振り撒きながら事態を混乱させている。冬木のキャラクターはそれを体現化したもので、どんなことをやらかしても謝罪も反省もなく、英雄気取りで自分が正しいと信じ込む。
冬木を演じているのが石原で、率直に言って演技は褒められたものではない。セリフは棒読みで身体のキレも悪い。この点、弟の裕次郎とはかなり差がある。しかし、冬木の人と人とも思わない傲慢な態度は、現実の石原の言動と微妙にクロスしてこれがけっこう面白い。もしも彼が政治家への道に進まずに俳優業を続けていたならば、非情な悪役が得意なバイプレーヤーになっていたかもしれない(笑)。
鈴木英夫の演出は他の監督作と比べると粘りが足りないが、小沢栄太郎に多々良純、司葉子、仲代達矢、志村喬、そして三船敏郎や宮口精二といった多彩なキャストが場を盛り上げている。芥川也寸志の音楽も良い。