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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「少年H」

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 面白く観ることが出来た。児童文学作家の山中恒や漫画家の小林よしのりに酷評された妹尾河童による原作は読んでいないが、元ネタを知らなくても十分楽しめる映画だと思う。

 昭和初期、神戸に住む小学生の妹尾肇はそのイニシャルから“H”と呼ばれていた。高級紳士服の仕立て屋を営む父と優しい母、そして妹の好子との暮らしは、さほど豊かではないが幸せなものだった。しかし時代は戦争の影が忍び寄り、肇にオペラのレコードを聴かせてくれたウドン屋の兄ちゃんが特高警察に引っ張られたり、元女形の舞台役者で映写技師の通称“オトコ姉ちゃん”に赤紙が届いたりと、暗い出来事が相次ぐ。

 さらには父が特高の理不尽な取り調べを受けたり、妹を田舎の親戚宅に疎開させたり、肇の一家も辛酸を嘗めることになる。神戸の町が焼け野原になった後に迎えた終戦、日本人のパラダイムは手のひらを返したように一変する。そんな風潮に、肇は納得出来なかった。

 興味深いのは、肇を通して描かれる“インテリの敗北”のようなものだ。肇の父の顧客の多くが、戦前から神戸に数多く住んでいた外国人であった。そして母は熱心なクリスチャンで、外国人と接する機会を頻繁に持つことが出来た。当然のことながら、一家には他の一般ピープルが知らない対外情報が多く入ってくることになり、自然とリベラルな物の見方をするようになる。肇はこんな環境の中で“自分と他者とは違う”という認識を持つようになったのも、仕方のないことだろう。

 しかし、両親が外国人と交流を持てたのは、何も特別なことではない。たまたまその環境に置かれただけの話だ。基本的には戦争で右往左往する他の人々と同じであったし、それ以前に平凡なカタギの社会人であった。もちろん両親もそのことを自覚していたが、幼い肇にはそれが分からない。

 その矛盾が大きく噴出するのが戦後になってからだ。結局自分はリベラルでも特別な存在でもなく、その他大勢と一緒の、一人の少年に過ぎなかったことをイヤというほど思い知らされることになる。そしてそれが、新たに人生を踏み出す第一歩となる。このあたりのホロ苦い描き方は見事だ。

 ただし、世に言うインテリ達(マスコミも含む)は戦争が終わっても自分の立場を見直さず、それどころか反省もせず、簡単に軸足を好戦から反戦へと移し、知識人としての看板を下ろすことはなかった。その悪影響は現在まで尾を引き、日和見と自己保身しか考えない反国益的な言説が罷り通っている。肇のような大人への通過儀礼を経ないまま“なんちゃってリベラル”にドップリ浸かった言論人への痛烈な一撃を、そこに見たような気がした。

 監督は降旗康男で、キャリアが長い割にはパッとしないこの演出家の、数少ない代表作になるだろう。とにかく展開で丁寧で、しかも冗長にならない。両親役の水谷豊と伊藤蘭は言うまでもなく本当の夫婦だが、実に自然体の良い演技をしている。妹役の花田優里音も可愛らしい。そのせいか、肇に扮した吉岡竜輝の存在感が少し薄くなってしまったのは残念だ。音楽も撮影も及第点。当時の神戸の雰囲気はまさにこのようであったと思わせる舞台セットも、かなり見応えがある。

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