82年作品。今も昔も、最も映画化しにくい題材として挙げられるのが筒井康隆の作品群だろう。「時をかける少女」のようなジュブナイル系を別にすれば、映画作品は数本しかない。しかも、いずれも(まあまあのレベルに達しているシャシンはあるが)成功しているとは言い難い。これはひとえに、あの狂気じみた設定とインモラルな筋書きを違和感なく映像化することの困難性が立ち塞がっているからだ。ただし、この作品だけは何とか筒井ワールドに肉薄していると思う。
古いアパートに入居している梁山泊プロダクションは、接待評論家の雷門享介に贈答評論家の平松礼子、横領評論家の本橋浪夫、万引評論家の沼田峰子といったワケの分からない評論家たちで構成される怪しげな集団だ。彼らはマスコミに露出する共に、破天荒な言動で世の注目と顰蹙を集めるという“炎上芸”を生業としていた。
ある時、吐しゃ物評論家の片桐考太郎が、テレビの“反吐当てゲーム”で見事にマスコミ界の大物である大屋壮海の反吐を的中させて大屋に気に入られ、梁山泊プロは新メンバーも集めてビッグになってゆく。その様子を面白く思っていない主婦連や全国PTA協議会などの“良識派”が、梁山泊プロに怒鳴り込んでくる。騒ぎは大きくなり、機動隊が出動して鎮圧に当たろうとする。ところが、人質を取って立てこもる梁山泊プロの狼藉に手を焼くばかりの当局側は、自衛隊の投入を決意する。
無茶苦茶な評論家どもが、それ以上に異常なマスコミ人種たちとその体制を徹底的にコケにするのが痛快だ。また、梁山泊プロのオーディションの場面はケッ作で、やってきた“まともな評論家”たちが一刀両断にされ、評論家そのものの胡散臭さを白日の下にさらすという構図は堪えられない。自衛隊がやってくると登場人物の一人が“筒井康隆作品ではこういう場面で自衛隊が出動するのが通常パターンだ”みたいなことを呟くシーンは笑った。
脚本は桂千穂、監督は内藤誠が担当しているが、彼らの多彩な人脈により製作費がわずか500万円程度にも関わらず、濃すぎるキャストが大集結しているのも圧巻だ。主演の平岡正明をはじめ、南伸坊に入江若葉、山城新伍、伊藤幸子、山本晋也、朝比奈順子、大林宣彦、安岡力也、珠瑠美といった者達が顔を揃える。
さらには北川れい子や四方田犬彦、松田政男、石上三登志といった“本物”の評論家も出てきてセルフ・パロディを演じている。映像は限りなくチープだが、それが逆にイイ味を出している。筒井康隆の作品の映画化は、こうした安っぽいヘタウマを狙うか、あるいはハリウッド大作並みに巨費を投じなければサマにならないと思った次第である。
古いアパートに入居している梁山泊プロダクションは、接待評論家の雷門享介に贈答評論家の平松礼子、横領評論家の本橋浪夫、万引評論家の沼田峰子といったワケの分からない評論家たちで構成される怪しげな集団だ。彼らはマスコミに露出する共に、破天荒な言動で世の注目と顰蹙を集めるという“炎上芸”を生業としていた。
ある時、吐しゃ物評論家の片桐考太郎が、テレビの“反吐当てゲーム”で見事にマスコミ界の大物である大屋壮海の反吐を的中させて大屋に気に入られ、梁山泊プロは新メンバーも集めてビッグになってゆく。その様子を面白く思っていない主婦連や全国PTA協議会などの“良識派”が、梁山泊プロに怒鳴り込んでくる。騒ぎは大きくなり、機動隊が出動して鎮圧に当たろうとする。ところが、人質を取って立てこもる梁山泊プロの狼藉に手を焼くばかりの当局側は、自衛隊の投入を決意する。
無茶苦茶な評論家どもが、それ以上に異常なマスコミ人種たちとその体制を徹底的にコケにするのが痛快だ。また、梁山泊プロのオーディションの場面はケッ作で、やってきた“まともな評論家”たちが一刀両断にされ、評論家そのものの胡散臭さを白日の下にさらすという構図は堪えられない。自衛隊がやってくると登場人物の一人が“筒井康隆作品ではこういう場面で自衛隊が出動するのが通常パターンだ”みたいなことを呟くシーンは笑った。
脚本は桂千穂、監督は内藤誠が担当しているが、彼らの多彩な人脈により製作費がわずか500万円程度にも関わらず、濃すぎるキャストが大集結しているのも圧巻だ。主演の平岡正明をはじめ、南伸坊に入江若葉、山城新伍、伊藤幸子、山本晋也、朝比奈順子、大林宣彦、安岡力也、珠瑠美といった者達が顔を揃える。
さらには北川れい子や四方田犬彦、松田政男、石上三登志といった“本物”の評論家も出てきてセルフ・パロディを演じている。映像は限りなくチープだが、それが逆にイイ味を出している。筒井康隆の作品の映画化は、こうした安っぽいヘタウマを狙うか、あるいはハリウッド大作並みに巨費を投じなければサマにならないと思った次第である。