86年作品。脚本が森田芳光で監督が根岸吉太郎という、製作当時の若い才能が初めてタッグを組んだということで話題になった映画だ。内容の方も水準は超えていて、ユニークでありながら完結で清新な印象を与える佳編である。なお、その年のキネマ旬報ベスト・テンでは第三位にランクインしている。
ライターをしている榎本登起子は、中学生と小学生の2人の息子と一緒に暮らしている。夫の和也は食品会社に勤めているが、単身赴任中でめったに帰って来ない。しかしある日、和也が突然帰宅する。そして登起子に“好きな女が出来た。一度会って欲しい”と告げるのだった。
呆気に取られるうちに和也の浮気相手の良子をまじえた席がセッティングされ、登起子は付き合わされるハメになる。ショックを受けた彼女はしばらく仕事を休むことにするが、取材先のミュージシャンのいざこざに巻き込まれ、気が休まるヒマが無い。やがて彼女は、離婚する決意を子供たちに打ち分ける。干刈あがたによる同名小説の映画化だ。
ネタとしてはよくある夫婦の別離を扱っているが、やはりこのスタッフの手に掛かると一筋縄ではいかない様相を呈してくる。全体的なタッチは乾いてはいるが、軽妙な会話の中にしっとりとした情趣を折り込み、しかも才気とユーモアに満ちている。とにかく、根岸のきめ細かい描写力と、森田の得意とするイレギュラーで玄妙なセリフがしっかりと融合しているあたりに感心する。
くだんのミュージシャンの滅茶苦茶ぶりや、愛人の登起子との初対面の席での傍若無人な態度などで、新奇な展開を出していると思ったら、離婚を持ち出した際の子供たちの狼狽で胸を突かれる場面を提示したりと、自由自在に作劇のリズムを作っているあたりが上手い。森田が関与した作品の中では、最も幅広い層にアピール出来る映画だと思う。
主役の夫婦を演じる十朱幸代と田中邦衛は絶品で、表面では平静を装いながら、内面は揺れ動いてる中年男女を大きな説得力を伴って実体化している。藤真利子や時任三郎、斉藤慶子、陣内孝則などの当時の若手をフリーハンドで使いこなしているにのも納得した。丸池納の撮影と鈴木さえ子の音楽も申し分ない。なお、題名にある“ウホッホ”とは和也の咳払いを表現しているが、その語感は面白いと思う。
ライターをしている榎本登起子は、中学生と小学生の2人の息子と一緒に暮らしている。夫の和也は食品会社に勤めているが、単身赴任中でめったに帰って来ない。しかしある日、和也が突然帰宅する。そして登起子に“好きな女が出来た。一度会って欲しい”と告げるのだった。
呆気に取られるうちに和也の浮気相手の良子をまじえた席がセッティングされ、登起子は付き合わされるハメになる。ショックを受けた彼女はしばらく仕事を休むことにするが、取材先のミュージシャンのいざこざに巻き込まれ、気が休まるヒマが無い。やがて彼女は、離婚する決意を子供たちに打ち分ける。干刈あがたによる同名小説の映画化だ。
ネタとしてはよくある夫婦の別離を扱っているが、やはりこのスタッフの手に掛かると一筋縄ではいかない様相を呈してくる。全体的なタッチは乾いてはいるが、軽妙な会話の中にしっとりとした情趣を折り込み、しかも才気とユーモアに満ちている。とにかく、根岸のきめ細かい描写力と、森田の得意とするイレギュラーで玄妙なセリフがしっかりと融合しているあたりに感心する。
くだんのミュージシャンの滅茶苦茶ぶりや、愛人の登起子との初対面の席での傍若無人な態度などで、新奇な展開を出していると思ったら、離婚を持ち出した際の子供たちの狼狽で胸を突かれる場面を提示したりと、自由自在に作劇のリズムを作っているあたりが上手い。森田が関与した作品の中では、最も幅広い層にアピール出来る映画だと思う。
主役の夫婦を演じる十朱幸代と田中邦衛は絶品で、表面では平静を装いながら、内面は揺れ動いてる中年男女を大きな説得力を伴って実体化している。藤真利子や時任三郎、斉藤慶子、陣内孝則などの当時の若手をフリーハンドで使いこなしているにのも納得した。丸池納の撮影と鈴木さえ子の音楽も申し分ない。なお、題名にある“ウホッホ”とは和也の咳払いを表現しているが、その語感は面白いと思う。