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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「燃えつきるまで」

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 (原題:Mrs. Soffel )84年作品。キャストの使い方は万全ではなく、ストーリー自体は大して面白くない。それよりも、時代の設定と考証の方に興味を覚える映画だ。今まで知らなかったことが紹介されている。監督はオーストラリア出身の女流ジリアン・アームストロングで、カンヌ国際映画祭に正式出品された「わが青春の輝き」(79年)に続く二作目である。

 1901年、ピッツバーグのアレゲニー刑務所の所長ピーター・ソッフルの妻ケイトは、獄舎の人々のために聖書を読んできかせるという活動に勤しんでいた。服役中のエドとジャックのビドウル兄弟は殺人罪で死刑を宣告されていたが、それは濡れ衣だと看守に訴えていた。世論は兄弟に同情し、裁判所に助命嘆願が提出されていたのだ。



 ケイトはエドと知り合うが、互いに運命的なものを感じる。やがて2人の仲は恋愛へと発展する。ある日、監房が火に包まれた。ケイトは家族を捨て、エドとジャックと共に塀の外に飛び出し、カナダへと向かう。マクガヴァン刑事率いる警察隊が追跡を始め、ついにカナダとの国境を目前にして騎馬隊に追いつめられてしまう。

 アームストロング監督はラブシーンの撮り方が下手だ。単なるセリフのやり取りだけで、恋愛が進展すると思っている。些細な動作や眼差し、そしてセクシャルな匂いなどを散りばめて盛り上げないと、観る者は納得しない。しかも、エド役がメル・ギブソンである。この頃のギブソンはあの青い目としなやかな身のこなしでセクシーさを醸し出していたが、本作ではそのあたりの描写が不足している。

 ケイトに扮しているのはダイアン・キートンなのだが、ウディ・アレンと別れた彼女は、その前に出た「リトル・ドラマー・ガール」(84年)と同じく、どうにも精彩が無い。いつも疲れたような顔で、内面もかさついているように見える。現在は良い感じにトシを取っているが、この時期はスランプだったのかもしれない。対してジャックを演じるマシュー・モディンはとてもいい。儚さを漂わせたキャラクターがこの役にピッタリだ。

 気勢の上がらないラストも含めて、出来自体にはこれ以上あまり言及したくないが、当時は刑務所と所長の住居が隣り合わせだったのには驚く。所長の妻が囚人たちに聖書を読んで聞かせる役を引き受け、長いドレスを着て殺人犯や強盗犯の獄舎に平然と入っていくのはちょっと凄い。今からは考えられないことだ。

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