(原題:A RAINY DAY IN NEW YORK )若者が主人公のラブコメも、ウディ・アレン御大が手掛けると、かくも上質でエスプリの効いた逸品にに仕上げられるのかと、感心することしきりである。俳優の動かし方、ギャグの繰り出し方もさることながら、先の読めない脚本の巧みさには唸るしかない。
東海岸の郊外(田舎)の大学に通うギャツビーは、学生新聞の記者をしている同級生の恋人アシュレーがマンハッタンで有名監督にインタビューする機会を得たことから、一緒にニューヨークに出向く。実はギャツビーはニューヨーク出身で、アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内する予定だった。しかし、到着早々2人は別行動を余儀なくされる。何とかして彼女とニューヨークでのデートを敢行したいギャツビーだが、次から次にハプニングが起こり、連絡さえ取れなくなる。やることが無くなり、やむなく両親の主宰するパーティーに出席した彼が直面したのは、母親の思いがけない秘密だった。
恋愛映画の主要メソッドである“すれ違い”ネタが展開するのだが、携帯電話やSNSが普及した現在では成り立たないと思わせて、微妙な情報の齟齬により2人がどんどん引き離されてゆくプロセスが、目立った瑕疵も無く進むというのが凄い。しかも、2人が遭遇するエピソードが映画製作の現場およびその裏側に関するネタに準拠しているので、映画ファンとしては堪えられない。
ウディ・アレンの映画には大抵インテリぶって講釈ばかり垂れ流す野郎(作者の分身)が登場するが、本作のギャツビーはまさしくそう。当初はアイビーリーグ校に入学したものの、1年で(おそらく成績不振により)放校処分になるが、それを“ボクの実力を発揮出来る場ではなかった”などと言い訳じみたモノローグを連発して誤魔化すのはケッ作だ。
自意識過剰で認識不足のアシュレーのキャラクターも最高で、洪水のように押し寄せるトラブルを、平然と(自分に都合が良いように解釈して)乗り切ってしまうのはアッパレだ。思いがけないラストのオチは効果的だが、やっぱりアレンはニューヨークが好きなのだと改めて感じ入った。
ギャツビー役のティモシー・シャラメは軽佻浮薄に見える二枚目を上手く演じていたし、アシュレーに扮したエル・ファニングも大奮闘で、何よりも可愛く撮れていた。セレーナ・ゴメスにジュード・ロウ、ディエゴ・ルナ、レベッカ・ホールなどの脇の面子も万全だ。なお、本作はアメリカでは公開されていないらしい。昨今の#MeToo運動によってアレンの過去が蒸し返されたという理由だが、このあたりの事情はどうも愉快になれない。