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「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」

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 (原題:Chronik der Anna Magdalena Bach )1967年西ドイツ=イタリア合作。題名通り、大作曲家J・S・バッハの二番目の妻アンナ・マグダレーナから見た夫の音楽活動を描いたバッハの伝記映画ではあるが、その独特の映像表現により実に見応えのある作品に仕上がっている。本作が日本公開されたのは80年代半ばだが、その頃話題になっていたミロス・フォアマン監督の「アマデウス」(84年)とは対局を成す映画である。

 この作品にはドラマはあまり存在しない。ごく一部で演者たちのセリフのやり取りがあるが、大半がバッハの演奏シーンとアンナによる日記の朗読だけで構成されている。本作はバッハの生涯も、アンナとの関係性も重要視していない。そんな、ドキュメンタリーにも成り切っていない映画のどこが面白いのかと問われそうだが、これがすこぶる興味深い。

 映画の主眼は、音楽とその時代に生きる人々との関係性なのだ。つまりは“音楽とは何か”という、根源的な課題に肉迫している。その主題が最も顕著に表現されているのが、1727年4月のライプツィヒの聖トーマス教会における「マタイ受難曲」の初演の場面である。

 通常、クラシックの公演映像は主として客席からステージを見つめるポジションで展開されるが、この映画では演奏するバッハの姿が斜め後方より撮影されている。いったいこれは誰の視点なのかと思っていると、当時の慣習で立ったまま演奏する楽団員と同じ目の高さから観客席を捉えた映像を観るに及んで、それはバッハの演奏に立ち会っている者の視点であることが分かる。

 そのカメラが切り取った、身動き出来ないほど多くの人々で埋め尽くされた教会の様子を見るとき、同時代に生きる者たちの切迫した思いを代弁するものが、バッハの音楽であったことが如実に感じられるのだ。そして、劇中でアンナが家でチェンバロを弾いている様子を延々と映す場面に代表されるように、演奏行為自体が家事のように日常のものだというモチーフも提示される。つまりは、音楽とは、生活そのものであり、情念であり、想いである。

 バッハに扮するのはバロック演奏の大家グスタフ・レオンハルトで、サウンドトラックも彼が指揮するウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが担当している。おそらく、当時のバッハの音楽は斯様なスタイルで人々の耳に届いていたのだろうという、大きな説得力を獲得している。

 ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの演出は起伏は無いが、モノクロで表現される映像の取り上げ方が緊張感に溢れ、最後まで飽きさせない。アンナを演じるクリスチアーネ・ラング・ドレヴァンツの存在感もかなりのものだ。

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