(原題:We're No Angels )89年作品。ニール・ジョーダン監督作品としては「モナリザ」(86年)に次いで良い出来だ。元ネタになった、マイケル・カーティス監督による1955年製作の同名作品は観ていないが、本作独自のイイ味は出ていると思う。ロバート・デ・ニーロにショーン・ペンという有名スターを配し、それぞれに的確な仕事をさせているのもポイントが高い。
1935年、窃盗罪によりカナダ国境付近の刑務所に服役していたネッドとジムは、凶悪犯のボビーの脱獄計画に巻き込まれ、成り行きで刑務所から脱走してしまう。ニューイングランドの小さな町に逃げ込んだ2人は、国境を越えるために神父に成りすます。ところが、欠員が発生した教会に送り込まれることになり、修道院での生活を始めるハメになる。何とかカナダに逃亡する機会をうかがう2人だったが、上手くいかない。
やがてネッドは、耳の不自由な娘を育てるシングルマザーのモリーを好きになってゆく。一方、2人を追う刑務所長の一行と地元警察の捜査はこの町にも及び、さらにはボビーまでネッドたちに接近する。そんな折、祭りの日にカナダの姉妹関係にある教会まで信者たちが行列することになり、ネッドとジムはその中に紛れ込もうとする。デイヴィッド・マメットによる戯曲の映画化だ。
爆笑の連続を期待するような映画ではないが、それでも笑いとペーソスは全編に散りばめられており、飽きさせない。何より、服役囚が聖職者を装うことによるギャップがおかしい。ニセ神父のはずのジムが苦し紛れに覚えた聖書の一行に、自らの“体験談”を加えて説教(演説)すると、教会と信者に大ウケする皮肉も笑えるが、これが宗教に対するアイロニーにはならず、根っからの悪人ではないネッドたちの善良な部分を照射させるモチーフになっているあたりが巧妙だ。
終盤には思わぬアクションシーンが展開し、ネッドたちの活躍が描かれるのだが、その後の“奇跡”の現出についても無理がない。ラストは御都合主義だが、時代設定から見れば許容できる(現代だったら、こう上手くはいかない)。ジョーダンの演出は派手さはないが、浮ついたところが無く、ドラマをしっかりと見せる。
デ・ニーロとペンのパフォーマンスは申し分なく、特にデ・ニーロの“顔芸”には楽しませてもらった。モリーに扮したのはデミ・ムーアで、この頃の彼女は魅力的だった。撮影監督にフィリップ・ルースロ、音楽にジョージ・フェントンという手練れのスタッフを起用しているのも評価できる。