91年作品。工藤栄一監督の、後期の代表作だと思う。日本映画ではそう多くはないロードムービーの形式を取り、しかも旅するのは男ばかり3人。ただ、それぞれの生き方そしてポリシーが自然に出てくるような作劇は捨てがたい。キャストの好演もあり、鑑賞後の印象は決して悪いものではない。
元暴走族で少年院帰りの水田順公は、カフェバーで働きながら一人暮らし。ある日、刑務所から出所した叔父の順一から、父の順二が急死したことを告げられる。順二の葬式が終わる間際、赤沢という老人が現れる。赤沢は元ボクサーで、同じく若い頃にリングにあがっていた順二と試合をしたことがあるという。
35年前に行われた国内のタイトルマッチで挑戦者を死なせてしまった赤沢は、試合相手の内妻を受取人に順二と共に保険に入っていたが、その受取人の居所が分からなくなっており、順一と順公が何か知らないかと尋ねてきたのだった。順一たちにも心当たりは無く、そこで3人はその女性を探すべく、その試合がおこなわれた名古屋に向かう。安部譲二の小説の映画化だ。
10年前に母を亡くし、父もまた突然にいなくなった順公にとって、順一と赤沢という大人との出会いはこれからの人生の指針を示しているとも言える。孤独で捨て鉢になりそうな若者が、他者との触れ合いによって自分を取り戻すという設定は、在り来たりだが観ていて気持ちが良い。
順一はいい加減な性格が災いしてヤクザの道に足を踏み入れ、長いことクサい飯を食うハメになった。やっとシャバに出た彼にとって、若い甥との再会はこれからやり直す切っ掛けになるはずだ。赤沢は35年も罪の意識に苦しんできた。それがやっと重荷を下ろせるチャンスが来たのだ。旅するうちに、それまでの苦労が徐々に消え去っていく様子がうかがえ、しみじみとした気分になる。
旅の道中ではいろいろとドタバタ劇があって飽きさせない。そして、その探していた女性の“正体”が分かる終盤の処理は、けっこう感慨深い。山崎努に木村一八、大滝秀治というトリオはそれぞれの持ち味が良く出ている。石田えりに井川比佐志、津村鷹志といった脇の面子も良い。工藤の演出は今回あまり派手さは無いが、淀みなくドラマを進めている。そして主題曲に監督の僚友だった松田優作の楽曲を使っているあたり、何ともセンスが良い。
元暴走族で少年院帰りの水田順公は、カフェバーで働きながら一人暮らし。ある日、刑務所から出所した叔父の順一から、父の順二が急死したことを告げられる。順二の葬式が終わる間際、赤沢という老人が現れる。赤沢は元ボクサーで、同じく若い頃にリングにあがっていた順二と試合をしたことがあるという。
35年前に行われた国内のタイトルマッチで挑戦者を死なせてしまった赤沢は、試合相手の内妻を受取人に順二と共に保険に入っていたが、その受取人の居所が分からなくなっており、順一と順公が何か知らないかと尋ねてきたのだった。順一たちにも心当たりは無く、そこで3人はその女性を探すべく、その試合がおこなわれた名古屋に向かう。安部譲二の小説の映画化だ。
10年前に母を亡くし、父もまた突然にいなくなった順公にとって、順一と赤沢という大人との出会いはこれからの人生の指針を示しているとも言える。孤独で捨て鉢になりそうな若者が、他者との触れ合いによって自分を取り戻すという設定は、在り来たりだが観ていて気持ちが良い。
順一はいい加減な性格が災いしてヤクザの道に足を踏み入れ、長いことクサい飯を食うハメになった。やっとシャバに出た彼にとって、若い甥との再会はこれからやり直す切っ掛けになるはずだ。赤沢は35年も罪の意識に苦しんできた。それがやっと重荷を下ろせるチャンスが来たのだ。旅するうちに、それまでの苦労が徐々に消え去っていく様子がうかがえ、しみじみとした気分になる。
旅の道中ではいろいろとドタバタ劇があって飽きさせない。そして、その探していた女性の“正体”が分かる終盤の処理は、けっこう感慨深い。山崎努に木村一八、大滝秀治というトリオはそれぞれの持ち味が良く出ている。石田えりに井川比佐志、津村鷹志といった脇の面子も良い。工藤の演出は今回あまり派手さは無いが、淀みなくドラマを進めている。そして主題曲に監督の僚友だった松田優作の楽曲を使っているあたり、何ともセンスが良い。