(原題:LUCE)端的に言って、これは“何かあると思わせて、実は何もない映画”である。いや、正確には“何かある”のだとは思う。しかし、それが映画的興趣を喚起するほどに十分描き切れていないだけだ。聞けば本国での評価は上々らしいが、理解できない。あるいは彼の地ではリベラルっぽいネタを扱えば、斯様な生ぬるい出来でも評価されるということだろうか。
首都ワシントンの郊外に住むピーターとエイミーのエドガー夫妻は、紛争が続くアフリカのエリトリアから子供を養子に迎え、10年にわたって育ててきた。その子はエドガーと名付けられ、学業とスポーツの両面で優れた成績を収める高校生へと成長。周囲の人望も厚い。だが、社会科の教師ハリエットは、エドガーが提出したレポートが過激派に与したような内容だったことに驚く。さらに彼のロッカーからは危険な花火が見つかる。彼女はエイミーを学校に呼び出して注進するが、その頃から学校やエドガー家において不可解な出来事が頻発する。
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ナオミ・ワッツとティム・ロスが扮する夫婦が得体の知れない若造に翻弄される・・・・という筋書きならば、どうしてもミヒャエル・ハネケ監督の鬼畜的快作「ファニーゲーム U.S.A. 」(2008年)を思い出してしまう。だから、いつハネケ作品のような不条理で残虐な場面が出てくるのかと待ち構えていると、大したことは起こらず肩透かしを食らわされた(笑)。
そもそも、映画の設定自体に難がある。エドガー夫妻がどうして遠く離れた土地からエドガーを引き取ったのか、その背景が分からない。2人の間に子供が出来なかったのかもしれないが、それだけではアフリカから養子を迎える理由にはならない。しかも、ビーターは前妻との間に一子を儲けている。おそらくはこの夫婦はリベラルな思想の持ち主で“アフリカの子供を助けたい”という意向があったのかもしれないが、万人には受け入れがたい価値観だ。
ハリエットの妹がメンタル面でのハンデを負っていたり、韓国系の女生徒がエドガーに絡んだりといったモチーフも、思わせぶりなだけで映画の本筋に食い込んでいかない。アメリカで生まれ育った黒人と、同じ黒人でもアフリカからやってきたエドガーとでは、当然のことながら立場が違う。そのあたりのディレンマを描こうとしているフシもあるが、観ているこちらには強く迫ってくるものが無い。そして映画はどうでもいいようなラストを用意しているのみだ。
ジュリアス・オナーの演出はピリッとせず、全編に渡って煮え切らなさが漂う。原作のJ・C・リーはアジア系とのことで、黒人を描く上でどこか他人事みたいなタッチであるのは、そのことも関係しているのか。ワッツとロスのパフォーマンスは想定の範囲内だし、オクタヴィア・スペンサーやケルヴィン・ハリソン・Jr.などの面子も大したことはない。ジェフ・バロウとベン・ソールズベリーによるインダストリアル系の音楽は、映画に合っているとは言い難い。
首都ワシントンの郊外に住むピーターとエイミーのエドガー夫妻は、紛争が続くアフリカのエリトリアから子供を養子に迎え、10年にわたって育ててきた。その子はエドガーと名付けられ、学業とスポーツの両面で優れた成績を収める高校生へと成長。周囲の人望も厚い。だが、社会科の教師ハリエットは、エドガーが提出したレポートが過激派に与したような内容だったことに驚く。さらに彼のロッカーからは危険な花火が見つかる。彼女はエイミーを学校に呼び出して注進するが、その頃から学校やエドガー家において不可解な出来事が頻発する。
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ナオミ・ワッツとティム・ロスが扮する夫婦が得体の知れない若造に翻弄される・・・・という筋書きならば、どうしてもミヒャエル・ハネケ監督の鬼畜的快作「ファニーゲーム U.S.A. 」(2008年)を思い出してしまう。だから、いつハネケ作品のような不条理で残虐な場面が出てくるのかと待ち構えていると、大したことは起こらず肩透かしを食らわされた(笑)。
そもそも、映画の設定自体に難がある。エドガー夫妻がどうして遠く離れた土地からエドガーを引き取ったのか、その背景が分からない。2人の間に子供が出来なかったのかもしれないが、それだけではアフリカから養子を迎える理由にはならない。しかも、ビーターは前妻との間に一子を儲けている。おそらくはこの夫婦はリベラルな思想の持ち主で“アフリカの子供を助けたい”という意向があったのかもしれないが、万人には受け入れがたい価値観だ。
ハリエットの妹がメンタル面でのハンデを負っていたり、韓国系の女生徒がエドガーに絡んだりといったモチーフも、思わせぶりなだけで映画の本筋に食い込んでいかない。アメリカで生まれ育った黒人と、同じ黒人でもアフリカからやってきたエドガーとでは、当然のことながら立場が違う。そのあたりのディレンマを描こうとしているフシもあるが、観ているこちらには強く迫ってくるものが無い。そして映画はどうでもいいようなラストを用意しているのみだ。
ジュリアス・オナーの演出はピリッとせず、全編に渡って煮え切らなさが漂う。原作のJ・C・リーはアジア系とのことで、黒人を描く上でどこか他人事みたいなタッチであるのは、そのことも関係しているのか。ワッツとロスのパフォーマンスは想定の範囲内だし、オクタヴィア・スペンサーやケルヴィン・ハリソン・Jr.などの面子も大したことはない。ジェフ・バロウとベン・ソールズベリーによるインダストリアル系の音楽は、映画に合っているとは言い難い。