(原題:老井)87年作品。地味だが、良い映画だと思う。今や世界第二位のGDPを誇るまでになった中国だが、ほんの約30年前には地方にはこれほどまでに開けていない土地が広がっていたことに驚かされる(ひょっとすると現在も同様なのかもしれない)。そこに生きる人々の哀歓を掬い上げると共に、その現実に何とか対峙しようとする主人公の姿を活写し、鑑賞後の満足感は決して小さくはない。
山西省太行山の山奥にある“老井”という村は、岩山ばかりで水源が無い。そのため過去何世代にも渡って村人たちは井戸を掘り、総計100箇所以上でトライしてみるが、どこからも水は出なかった。そこに孫旺泉という青年が都会から帰ってくる。故郷の苦境を見かねた彼は、都会で得た知識を活かして井戸を掘ることにする。彼には村に恋人の巧英がいたが、掘削資金を調達するため、援助してもらうことを条件に寡婦の婿になる。作業に取りかかる旺泉だったが、落盤事故が発生して巧英と共に生き埋めになってしまう。
まず、この村の貧しさに驚く。テレビは白黒だし、精一杯の娯楽といえば、盲目の芸人を呼んで歌を歌わせることぐらいだ。井戸をめぐって隣村との争いもあるが、それもやはり、貧困であるがゆえである。だが、その状態を打破しようとする旺泉の努力も、村の古い因習に跳ね返されてうまく実行に移せない。結局、都会の新しい知識と村の体制とが融和することは無く、対処方法は個人の捨て身の行動によるしかない。この苦々しい現実が観る者を圧倒する。
主人公は巧英ともう一人、都会的な女性との間で悩む。それも描き方が巧英に肩入れしているように見えるのは、彼女自身の純朴さもさることながら、新しい潮流が簡単に地方の古い環境に適応出来るはずもないという、作者の達観が背後にあるからだろう。呉天明の演出は骨太で力強い。また情感豊かでもある。その持ち味は次作の「變臉 この櫂に手をそえて」(94年)で、さらに大きく発揮されることになる。
主役を務めるのは、何と後に大物映画監督になる張藝謀だ。本来カメラマンとして雇われたらしいが、面構えが良いので主演に起用されたらしい。本業の撮影の方もなかなかのもので、険しい山々が続く山西省の風景は、厳しくも美しい。巧英役の梁玉瑾も好演だ。第2回東京国際映画祭グランプリ受賞作品。観る価値はある。