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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「レ・ミゼラブル」

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 (原題:LES MISERABLES)第72回カンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得し、世評も悪くない作品だが、率直に言ってそれほどのシャシンとは思えない。理由は、脚本およびキャラクター造型に難があるからだ。何やら、ハードな題材を選べば事足りているという印象で、その次元に留まっている。とにかく、物語の練り上げが無ければ映画として成り立たないのだ。

 パリ市警で勤務することになったステファン巡査長が配属されたのは、ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台となった郊外のモンフェルメイユであった。そこは、不法移民や低所得者が多く住む危険な地域である。犯罪防止班に新たに加わった彼は、2人の仲間とともにパトロールするうちに、2つのギャングのグループが緊張関係のまま均衡を保っていることを知る。



 そんなある日、サーカス小屋からライオンの子供が盗まれるという事件が発生。ステファンたちは犯人と思われる少年たちを追うが、同僚の一人が誤ってイッサという少年に怪我を負わせてしまう。しかも、その現場を別の少年が操縦するドローンが撮影していた。そこはギャングのボスたちが仲介して何とか事態を治めたと思われたが、後日大変な騒動が起きてしまう。

 本作を観て思い出したのが、リオデジャネイロ郊外の貧民街を舞台にしたフェルナンド・メイレレス監督の「シティ・オブ・ゴッド」(2003年)である。だが、出来はあの映画には敵わない。一番の問題点は、ステファンという良心的なキャラクターを画面の真ん中に置いたことだ。つまりは“良識”によって一応事態は収束されるはずだといった、道理的なスタンスを打ち出している。

 しかし、ちょっと見れば分かるようにこの映画で描かれる世界は常識は通用しない。食うか食われるかのワイルドな状態だ。それを新任の警官がどうこう出来る余地は無い。しかし、作者自身がリベラルとも言えるスタンスを取ってしまったが故に、終盤には結末をあらぬ方向へ“丸投げ”するしかなかった。これでは消化不良だ。

 対して「シティ・オブ・ゴッド」のアプローチは、痛快なほど素材の残虐性をエンタテインメントとして昇華している。“良心”なんか、最初から存在しない。あの映画に比べれば、この「レ・ミゼラブル」は随分と甘口に見える。

 しょせん、貧困と暴力が支配する地域を対処療法的に何とかしようとしても無駄なことなのだろう。私なんか、こういう極悪なガキどもは機銃掃射で一斉駆除してやれば良いとも思ってしまうのだが(苦笑)、そうもいかない以上、ステファンの同僚たちのように現状を追認して上手く立ち回る方が得策だという、脱力するような結論に行き着くしかない。

 そもそも諸悪の根源は、貧民街を存在させているグローバリズムをはじめとする国家施策の数々だ。この問題を解決するには、現場の個人の努力ではどうしようもない。監督のラジ・リはそのことに気付いているのか。いや、たぶん気付いてはいるのだが、何か出来るはずだという願望を抱いているだけだろう。

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