(英題:YEAR OF THE QUIET SUN )84年作品。第41回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得しているが、主要アワードの受賞作が良作とは限らないというのは、映画ファンの間では定説(?)である。ところが本作は、大半の観客がその優れた内容を認識出来るという、希有な存在だ。80年代以降のポーランド映画としても、大きな業績であると思う。
1946年のポーランド。戦争で夫を亡くし、老いた母と一緒に暮らすエミリアは、先の見えない毎日に疲れ果てていた。ある日、彼女は戦争の後遺症に悩むアメリカ兵ノーマンと出会う。同じ心に傷を負う者同士、惹かれ合うのにはそう時間はかからなかった。2人は結婚することを決めるが、エミリアは裁判所による夫の死亡宣告がない限り再婚できない立場だ。それでもノーマンはいつまでも待つと言ってくれる。だが、母との関係により、彼女は国を離れない選択を下す。そのことを知らないノーマンは、エミリアに誘われるまま別れのダンスを踊るのだった。
とにかく、終戦直後の物理的・精神的荒廃の描写が鮮烈だ。街は破壊され、犯罪は日常茶飯事である。物言わぬ死体が次々と発掘されても、人々は感傷に浸る余裕すら無い。ノーマンは捕虜収容所で辛い目に遭い、そのトラウマから逃れられない。エミリアの隣に住む主婦は、生活のために毎夜男を誘い入れている。
印象的なのは、エミリアが描く太陽の絵である。そこに描かれている太陽は明るく輝いておらず、真っ黒に塗り潰されている。逆境にありながらも、心の奥底では事態が好転することを祈っている主人公達の心情を、見事にあらわしていると言えよう。
終盤、時制は現代に飛び、修道院の老人ホームで暮らすエミリアの姿を映し出す。そして、ラストの処理は見事だ。おそらく、私が今まで観てきた映画の中でベストテンに入るほどの幕切れであり、忘れがたい印象を残す。クシシュトフ・ザヌーシの演出は堅牢で、少しも淀むことが無い。主演のマヤ・コモロフスカとスコット・ウィルソンの演技は秀逸。スワヴォミール・イジャックによる撮影と、ヴォイチェフ・キラールの音楽がドラマを盛り上げる。
1946年のポーランド。戦争で夫を亡くし、老いた母と一緒に暮らすエミリアは、先の見えない毎日に疲れ果てていた。ある日、彼女は戦争の後遺症に悩むアメリカ兵ノーマンと出会う。同じ心に傷を負う者同士、惹かれ合うのにはそう時間はかからなかった。2人は結婚することを決めるが、エミリアは裁判所による夫の死亡宣告がない限り再婚できない立場だ。それでもノーマンはいつまでも待つと言ってくれる。だが、母との関係により、彼女は国を離れない選択を下す。そのことを知らないノーマンは、エミリアに誘われるまま別れのダンスを踊るのだった。
とにかく、終戦直後の物理的・精神的荒廃の描写が鮮烈だ。街は破壊され、犯罪は日常茶飯事である。物言わぬ死体が次々と発掘されても、人々は感傷に浸る余裕すら無い。ノーマンは捕虜収容所で辛い目に遭い、そのトラウマから逃れられない。エミリアの隣に住む主婦は、生活のために毎夜男を誘い入れている。
印象的なのは、エミリアが描く太陽の絵である。そこに描かれている太陽は明るく輝いておらず、真っ黒に塗り潰されている。逆境にありながらも、心の奥底では事態が好転することを祈っている主人公達の心情を、見事にあらわしていると言えよう。
終盤、時制は現代に飛び、修道院の老人ホームで暮らすエミリアの姿を映し出す。そして、ラストの処理は見事だ。おそらく、私が今まで観てきた映画の中でベストテンに入るほどの幕切れであり、忘れがたい印象を残す。クシシュトフ・ザヌーシの演出は堅牢で、少しも淀むことが無い。主演のマヤ・コモロフスカとスコット・ウィルソンの演技は秀逸。スワヴォミール・イジャックによる撮影と、ヴォイチェフ・キラールの音楽がドラマを盛り上げる。