新海誠監督の前作「君の名は。」(2016年)は、映像は素晴らしいが中身はカラッポの映画であった。だから本作を観るにあたって内容に関しては1ミリの期待も抱かず、ただ瀟洒な画面が流れていればそれでヨシとしよう・・・・というスタンスでスクリーンに対峙したのだ。しかし、その想いが打ち砕かれるまで、開巻からさほど時間はかからなかった。
東京の裏町のゴミゴミとした風景は、確かによく描き込まれている。だが、それは“実写をそのままアニメーションの画面として置き換えたもの”に過ぎず、映画的な興趣にはまったく結び付かない。たとえば、キャラクターの動きやセリフを一時的に排して、映像そのものに何かを語らせるという工夫は見当たらない。単なる“背景”として機能しているだけだ。ならば“雲の上”の風景などの超自然的な場面はどうかといえば、これが宮崎駿作品の二番煎じとしか思えないような、アイデア不足のモチーフばかりが並ぶ。結局全編を通し、映像面での喚起力はゼロに等しかった。
ドラマ部分は相変わらず低レベルで、話の辻褄がまるで合っていない。まさに支離滅裂の極みだ。キャラクター設定も薄っぺら。説明的セリフとモノローグばかりが粉飾的に山積している。要するに、作者には脚本を書く能力がもともと欠けているのだろう。
加えて、声優陣も壊滅的。主人公2人をアテる醍醐虎汰朗と森七菜は、前作の神木隆之介と上白石萌音に比べると、それぞれの俳優としてのキャリアの差が声のクォリティに直結している。小栗旬もパッとせず、倍賞千恵子はやっぱりアニメの吹き替えは不向きだし、本田翼に至っては“声だけ”なのに、やっぱり大根だ。RADWIMPSによるナンバーは、ハッキリ言って耳障り。作者は映画音楽の何たるかも分かっていない。
しかながら、“商品”としては良く出来ていると思う。この映画を観て“感動”してしまうのは、たぶん基本的に意識高い系の(中高生を中心とした)若年層だろう。彼らは映画として描写不足に終わっている部分に対しても“何か裏の意味があるのではないか”と、勝手に推測してくれるらしい。そして「君の名は。」のキャラクターがどこかに出ているの何のというネタが振りまかれることによって、それを自分の目で確かめるために何度も映画館に足を運んでくれる。
結果としてリピート率の高い“優良顧客”を囲い込んで、興行成績を盤石にものにするという、とても効果的なマーケティングが展開されている。実際に客の入りはめっぽう良い。これで新海監督も次回作を堂々と撮れるだろう。もっとも、私は観ないけどね。