(原題:LA LIBRERIA )舞台設定や時代背景の描写には惹かれるものはあるが、映画としてはパッとしない出来。とにかく題材に対する突っ込みが浅く、だからストーリーに覇気が無く、要領を得ないままエンドマークを迎える。斯様に作劇の芯が形成されていない状態では、訴求力を高めるのは難しい。
1959年。戦争未亡人のフローレンスは、英国の海沿いの小さな町に書店を開く。もとより保守的な土地柄で周囲からの反発を受ける彼女だが、やがて40年以上も邸宅に引きこもり、ただ本を読むだけの日々を過ごしていた老紳士ブランディッシュと知り合う。彼や店を手伝う少女のに支えられ、何とか書店の経営は軌道に乗ってくる。だが、彼女を嫌う地元の有力者ガマート夫人が、行政を巻き込んで書店を閉鎖に閉店に追い込もうと画策していた。ブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説の映画化だ。
そもそも、どうしてフローレンスが書店を開設しようと思ったのか、その動機が明確に示されていない。しかも、ロケーションは読書好きが多いとは思えない田舎町だ。ここは彼女の本に対する愛情や造詣、そしてこの町がヒロインを惹き付ける背景などをテンション上げて描くべきだろう。
ブランディッシュの方もキャラクターが掘り下げられていない。ただの偏屈な老人にしか見えないのだ。さらに言えば、ガマート夫人がフローレンスを快く思わない理由もよく分からない。どうやらこの書店の建物が歴史的建造物であるらしいのだが、それだけではガマート夫人の言動は説明出来ない。裏に大きな利権が絡んでいるとか、過去にフローレンスと夫人との間に何か確執があったとか、納得出来るモチーフが無ければ説得力は乏しい。
ストーリーは山が無く、フローレンスが逆境に陥っていく様子を、何ら工夫されないまま平板に展開するのみだ。少しはヒロインが活躍する場が与えられて然るべきだと思うのだが、このメリハリの無さには閉口するばかり。イザベル・コイシェの演出は常時沈んだままで、高揚感がドラマに付与されることはない。
主演のエミリー・モーティマーをはじめ、ビル・ナイやパトリシア・クラークソンなど良いキャストが揃っているだけに残念だ。ただし、ジャン=クロード・ラリューのカメラによる清澄で重みのある映像と美術、アルフォンソ・ビラリョンガの音楽は評価出来る。
1959年。戦争未亡人のフローレンスは、英国の海沿いの小さな町に書店を開く。もとより保守的な土地柄で周囲からの反発を受ける彼女だが、やがて40年以上も邸宅に引きこもり、ただ本を読むだけの日々を過ごしていた老紳士ブランディッシュと知り合う。彼や店を手伝う少女のに支えられ、何とか書店の経営は軌道に乗ってくる。だが、彼女を嫌う地元の有力者ガマート夫人が、行政を巻き込んで書店を閉鎖に閉店に追い込もうと画策していた。ブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説の映画化だ。
そもそも、どうしてフローレンスが書店を開設しようと思ったのか、その動機が明確に示されていない。しかも、ロケーションは読書好きが多いとは思えない田舎町だ。ここは彼女の本に対する愛情や造詣、そしてこの町がヒロインを惹き付ける背景などをテンション上げて描くべきだろう。
ブランディッシュの方もキャラクターが掘り下げられていない。ただの偏屈な老人にしか見えないのだ。さらに言えば、ガマート夫人がフローレンスを快く思わない理由もよく分からない。どうやらこの書店の建物が歴史的建造物であるらしいのだが、それだけではガマート夫人の言動は説明出来ない。裏に大きな利権が絡んでいるとか、過去にフローレンスと夫人との間に何か確執があったとか、納得出来るモチーフが無ければ説得力は乏しい。
ストーリーは山が無く、フローレンスが逆境に陥っていく様子を、何ら工夫されないまま平板に展開するのみだ。少しはヒロインが活躍する場が与えられて然るべきだと思うのだが、このメリハリの無さには閉口するばかり。イザベル・コイシェの演出は常時沈んだままで、高揚感がドラマに付与されることはない。
主演のエミリー・モーティマーをはじめ、ビル・ナイやパトリシア・クラークソンなど良いキャストが揃っているだけに残念だ。ただし、ジャン=クロード・ラリューのカメラによる清澄で重みのある映像と美術、アルフォンソ・ビラリョンガの音楽は評価出来る。