タイトル通りの、独自の切り口が面白く、最後までしっかりとスクリーンに対峙出来た。前にも書いたが、阪本順治監督は作品の質の幅が大きい作家だ。その中でも、本作は出来が良い部類だろう。原作の無いオリジナルストーリーだというのも好印象である。
海と山が隣接する三重県の田舎町に住む高村紘は、山中にある炭焼き窯で備長炭の職人として生計を立てている。ある日、彼の前に幼馴染みの瑛介が現れる。瑛介は自衛官として海外赴任していたが、突然仕事を辞めて妻子とも別れ、身一つで町に戻ってきたのだ。もう一人の子供の頃からの友人である光彦を交えて3人は旧交を温めるが、職の無い瑛介は取り敢えず紘の仕事を手伝うことになる。
深い考えもなく単に父親の仕事を継いだ紘だったが、今や備長炭の需要は安定しておらず、ストレスの溜まる日々だ。瑛介も重いトラウマを抱え、堅実に人生を歩んでいるように見える光彦は、未だ独身で屈託から逃れられない。40歳になろうとする男達の、悩み多き生き様を描く。
劇中で瑛介が紘に向かって“お前は世間を知ってはいるが、オレは世界を知っている”と言うシーンがあるが、終盤でこのセリフは巧妙に覆される。瑛介が体験した“世界の実相”と同様に、紘を取り巻いているのも“一つの世界”なのだ。それは光彦に関しても一緒であるし、突き詰めて言えば全ての人間はそれぞれの“世界”を持っている。ただし、それは本作の題名通り“半分”に過ぎない。そして誰も“残りの半分”を熟知することは無いのだ。
そんな事実に対しては誰もが諦念を抱くしかないのだが、それを認識することも“成長”と言えるのだろう。また主人公たちは、同時に人生の“半分”に差し掛かっている。そんな中年期の哀歓が滲み出ていて、全体を覆う雰囲気は悪くない。
3人の中では瑛介の造型が出色だ。戦場で生じたトラウマを引きずったまま故郷に帰り、何とか自分を取り戻そうとする。「ディア・ハンター」を思わせる設定だが、リアルタイムでの説得力はかなりのものだ。それに比べると、紘は家族を顧みない自己本位の男で、好きになれない観客もいるだろう。だが、こういうタイプの者は少なくないわけで、個人的には共感してしまった。
紘を演じる稲垣吾郎は幾分カッコ付けた感はあるが(笑)、熱演であることは間違いない。長谷川博己と渋川清彦も良いパフォーマンスを見せるが、紘の妻に扮する池脇千鶴が素晴らしい。安川午朗の音楽も好調で、全体として鑑賞後の印象は格別である。