ほとんど笑えず、全体的には“お手軽映画”の域を出ない。早い話が首都圏在住(あるいは出身)の観客以外にはアピール度が低いということなのだろう。もちろん、そういう“地域ネタ”が幅広く支持を集めるほどに映画自体が練り上げられていれば文句は無いが、斯様な方法論は元々ハードルが高いし、この映画の作り手にそれだけの力量があるとは思えない。
埼玉県人が東京都民から手酷い迫害を受け、逆境に甘んじている架空世界の話。東京のトップ高校である白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美は東京都知事の息子で、学内では権力をほしいままにしていた。ある日、麻実麗というアメリカ帰りで容姿端麗な転校生が学園にやってくる。あろうことか百美は麻実に恋心を抱くが、実は麻実は埼玉県出身であった。その事実を知って動揺する百美だったが、次第に埼玉差別の理不尽さに気付き、麻実に協力するようになる。
特定地域をバカにするような笑いの取り方は、昔タモリやビートたけし等がさんざん披露したものであり、新鮮さは無い。しかも、かつてのタモリ達は無関係の土地の住民をも爆笑させるような語り口と段取りの良さを持ち合わせていたが、この映画の作者にはそんなものは見当たらない。内輪でウケそうなネタを並べているだけだ。
武内英樹の演出は平板で、ストーリーの流れが良くない。大風呂敷を広げるだけの予算が無いことも関係しているのだろうが、盛り上げようとしているシークエンスは全て空振りしているような印象だ。
だいたい、私のような地方の住民にとって、東京近辺でのマウンティング合戦などに興味を覚えない。埼玉にしろ千葉にしろ、東京に近いこと自体が利点でもあるわけで、何をそんなに自虐的なギャグを繰り出しているのか分からない。
“埼玉の人間は池袋に集まるのだよ”などと御大層に言われても、“それがどうした”と返すしかないだろう。何せこっちは過去にわずかな期間しか東京に住んでいないし、埼玉県なんか3回しか行ったことがないんでね(笑)。
百美役の二階堂ふみの男装はけっこう魅力的だったと思うが、麻実に扮するGACKTのパフォーマンスは想定の範囲内だ。伊勢谷友介に麻生久美子、中尾彬、麿赤兒、竹中直人、京本政樹と配役は豪華だが、作者は使いこなしていない。ただ、はなわによるエンディングテーマ曲は面白かった。
埼玉県人が東京都民から手酷い迫害を受け、逆境に甘んじている架空世界の話。東京のトップ高校である白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美は東京都知事の息子で、学内では権力をほしいままにしていた。ある日、麻実麗というアメリカ帰りで容姿端麗な転校生が学園にやってくる。あろうことか百美は麻実に恋心を抱くが、実は麻実は埼玉県出身であった。その事実を知って動揺する百美だったが、次第に埼玉差別の理不尽さに気付き、麻実に協力するようになる。
特定地域をバカにするような笑いの取り方は、昔タモリやビートたけし等がさんざん披露したものであり、新鮮さは無い。しかも、かつてのタモリ達は無関係の土地の住民をも爆笑させるような語り口と段取りの良さを持ち合わせていたが、この映画の作者にはそんなものは見当たらない。内輪でウケそうなネタを並べているだけだ。
武内英樹の演出は平板で、ストーリーの流れが良くない。大風呂敷を広げるだけの予算が無いことも関係しているのだろうが、盛り上げようとしているシークエンスは全て空振りしているような印象だ。
だいたい、私のような地方の住民にとって、東京近辺でのマウンティング合戦などに興味を覚えない。埼玉にしろ千葉にしろ、東京に近いこと自体が利点でもあるわけで、何をそんなに自虐的なギャグを繰り出しているのか分からない。
“埼玉の人間は池袋に集まるのだよ”などと御大層に言われても、“それがどうした”と返すしかないだろう。何せこっちは過去にわずかな期間しか東京に住んでいないし、埼玉県なんか3回しか行ったことがないんでね(笑)。
百美役の二階堂ふみの男装はけっこう魅力的だったと思うが、麻実に扮するGACKTのパフォーマンスは想定の範囲内だ。伊勢谷友介に麻生久美子、中尾彬、麿赤兒、竹中直人、京本政樹と配役は豪華だが、作者は使いこなしていない。ただ、はなわによるエンディングテーマ曲は面白かった。