かなり重量感のある映画だ。“人間の善と悪”というテーマはありふれてはいるが、これを真正面から捉えて有無をも言わせぬ力業で見せきっている。また、我々が現在直面する社会問題を真摯に取り上げていることもポイントが高い。2019年の劈頭を飾る注目作である。
秋田県の地方都市に、東京から明石幸次が帰ってくる。自動車修理工場を営んでいた父親が、大手企業の不正を内部告発したものの、訴えは無効になった挙げ句に近隣住民から村八分にされ、心労で自殺したのだ。残された母を支えるため仕事を探す幸次に、児童養護施設“風車の家”のオーナーを務める北村が施設で働かないかと声を掛ける。調理係として勤務するようになった幸次は、そこで高校生の奈々と知り合う。両親の顔も知らずに育ち、心を閉ざしがちだった彼女は、なぜか幸次には親しく接するのであった。
やがて北村は幸次を“夜の仕事”に誘う。それは自動車窃盗グループの片棒を担ぐことだった。明らかな違法行為だが、北村は子供達を養うためには仕方が無いことだと割り切っている。最初は渋っていた幸次だが、北村に引きずられるまま悪事に手を染めていく。そして父を死に追いやった大手自動車メーカーの幹部を、復讐のターゲットに定める。
よく考えれば本作のプロットには無理がある。いくら辺鄙な場所で夜間に“仕事”に励んでいるとはいえ、この窃盗団はかなり大規模だ。警察に目を付けられずに長い間活動出来るとは考えにくい。北村の生い立ちや境遇もドラマティックではあるのだが、さすがに現実離れしている。
しかしながら、この映画の求心力の高さはそんなマイナス要因を余裕でカバーする。主人公の父親がやったことは、善意を背景にしていることは明らかだ。ところがその結果は世の中に反映出来ないどころか、逆に告発した本人(およびその家族)を追い詰める。不正の指摘を握りつぶす大手メーカーの姿勢は、道義に反している。だが、自社の従業員と取引先を守る上では、やむを得ない行為であるとの考え方も出来る。
北村は犯罪者だが、福祉事業に専念するだけでは子供達を救えない。北村に手を貸す幸次のスタンスも、似たようなものだ。確かに善悪に拘泥していては自体は前に進まないが、善悪を本質的に考慮しない行為は、最終的に皆ツケを払わせられる。そんな冷徹な真実を容赦なく描く姿勢には説得力がある。
加えて、地域を覆う暗鬱な同調圧力の実態も鮮明に示される。本来ならば、国や地方の当局側が社会正義をフォローする立場であるべきだが、問題解決を放棄して各人の自己責任に帰着させることを恥とも思っていない。世の中全体を縮小均衡に導く閉塞感を、北国の暗鬱な空模様や発電用の巨大な風車群が象徴する。
藤井道人の演出はパワフルで、一時たりとも気を抜けない。企画原案を兼ねた主役の阿部進之介のパフォーマンスは良好。ナイーヴさと内に秘めた攻撃性を巧みに両立させた妙演だと思う。北村役の安藤政信も久しぶりにクセ者ぶりを発揮。田中哲司は楽しそうに敵役を演じる。小西真奈美に佐津川愛美、渡辺裕之、室井滋と、脇の面子も充実。奈々に扮する清原果耶は健闘していて、彼女自身の歌唱によるエンディング・テーマ曲も印象的だ。今村圭佑の撮影と堤裕介の音楽は申し分ない。