脚本に不備があるため、評価は出来ない。こういう込み入った設定のホームドラマに説得力を持たせるためには、キャラクターの掘り下げが不可欠だが、本作はそれが十分ではないのだ。ロケ地や素材の面白さはあるのに、もったいない話である。
突然に夫の修平を亡くしてしまった晶(あきら)は、残された夫の連れ子である小学生の駿也と一緒に、東京から夫の故郷である鹿児島県阿久根市に住む義父の節夫のもとを訪れる。妻に先立たれて一人暮らしの節夫は、実は修平の死も知らなかったほど、息子とは疎遠であった。行く場所も無い晶たちは、節夫と共同生活を送ることになる。
何とか仕事を探さなければならない晶は、肥薩おれんじ鉄道の運転士である節夫を見習い、運転士になることを決意する。修平は鉄道が好きで、駿也も同様だ。晶はいつか自分が運転する列車に駿也を乗せることを夢見るようになる。
血の繋がっていない息子、およびその祖父と同居することを選び、田舎暮らしも厭わないヒロインの造型には細心の注意が払われるべきだが、その点が疎かになっている。晶と駿也は15歳しか離れていない。そのせいか駿也は晶を母親とは思っておらず、まるで自分の姉か友人のように接している。しかも、劇中では駿也の亡き父親への思慕ばかりがクローズアップされている。
この映画を観る限り、駿也は晶をこれからも“お母さん”と呼ぶ可能性は低い。まだ若い彼女にとってそんな境遇は耐えられないと思うのだが、それでも晶は駿也と節夫のそばにいて“疑似家族”の一員になろうとする。この筋書きが説得力を持つには、晶がそうせざるを得ない理由をしっかりと描かれなければならない。だが、その点がまるで万全ではない。
彼女自身が親と上手くいっていなかったことや、修平と結婚する前は水商売をしていた事実が暗に示されるが、それだけでは不足だ。もっと晶の“家族”を求める切迫した心情が描かれて然るべきであった。
吉田康弘の演出は丁寧で、列車に関する知識は興味深いし、肥薩おれんじ鉄道沿線の風情は捨てがたい。だが、前述のようにドラマの核になるようなポイントが無いので、最後まで違和感は拭えなかった。晶に扮した有村架純は好演だが、意味も無くミニスカートやショートパンツを着用しているシーンがけっこうあるのには苦笑してしまった(男性観客へのサービスだろうか ^^;)。
節夫役の國村隼は相変わらず安定した仕事ぶり。しかし、青木崇高や桜庭ななみが脇を固め、音楽が富貴晴美で、舞台が鹿児島だというのだから、どうしてもNHK大河ドラマ「西郷どん」を思い出してしまう(笑)。