(原題:FAHRENHEIT 11/9 )これまでも挑発的な作品を世に問いかけてきたマイケル・ムーア監督だが、本作はいつにも増して切迫した空気が横溢し、かなり見応えがある。それだけ現状が危うくなってきているのだ。今回のターゲットは主にトランプ大統領ではあるが、決して“トランプは悪、民主党は善”といった単純な二者択一の図式は示されていない。ムーアが告発するのは、世の中を覆う“薄甘いファシズム”の台頭である。トランプの所業に対する批判は、そのトリガーに過ぎない。
劇中、トランプとヒトラーをシンクロさせる映像が出てくるが、これは明らかに図式的な捉え方である。しかし、全編を通して観てみるとその“ありがちな方法”が説得力を持つことに慄然とするのだ。ムーア自身が「キャピタリズム マネーは踊る」(2009年)で指摘したように、世にはびこる新自由主義は富の集中と格差の拡大を生む。それに起因する国民の不満を誤魔化すには、別に“敵”を作るのが一番だ。ヒトラーの場合それがユダヤ人等だったのに対し、トランプは不法移民やマイノリティである。
つまり“あいつらが悪い。あいつらをやっつければ何とかなる”というデマゴーグを流布し、ワンフレーズ・ポリティクスで有権者の判断能力を奪う。何しろ今までその言動が批判され、先の中間選挙でも少なくない批判票が投じられているにも関わらず、トランプ政権は盤石なのだ。
ならば対する民主党はどうかといえば、これもヒドいものだ。特に、劇中で描かれるオバマ前大統領のヘタレぶりには反吐が出る。ヒラリー・クリントンが大統領候補に選ばれた経緯というのも、デタラメ極まりないものとして描かれる。
ムーアの地元であるミシガン州フリントで起こった公害問題の扱いは、与野党の立場は関係なく現代のアメリカ社会が持つ病理をえぐり出して圧巻。さらに、頻発する銃乱射事件に対して立ち上がった人々の戦いも、鮮明に取り上げられる。これらの事実は日本では報道されない。もちろん、本作で描かれていることが全て真実であると断言は出来ない。それでも、この重いメッセージ性は観る者を圧倒する。まさに、映画が持つ表現力と告発力を駆使した仕事と言うべぎだろう。
この映画で描かれていることは、我々としても決して他人事ではない。現政権は“国民ファースト”ではなく、明らかな“財界ファースト”。対外的には“敵”、国内では“イベント”を設定し、有権者の目をそちらに向けさせている。対する野党は揃いも揃って無能の輩ばかり。この閉塞感が打開される日は、果たして来るのだろうか。