(原題:A MAN WITHOUT A FACE)93年作品。メル・ギブソンの監督デビュー作だが、非凡な演出力はこの頃から片鱗を見せている。設定は平易で、誰が観ても良さが分かるヒューマン・ドラマ。さらに、過去にタッグを組んだピーター・ウィアー監督の影響も感じられるあたりが興味深い。
1968年。メイン州のリゾート地にやって来たノースタッド家。3人の子供は全て父親が違うという、複雑な事情のある一家だ。長男で12歳のチャックは、家庭に居場所が無い。彼は早めに家を出て、士官学校に入ることを望んでいる。近所に暮らす元教師のジャスティンは、事故で顔半分にやけどを負い、周囲の人間との関係を絶っていた。
そんなジャスティンと知り合ったチャックは、ジャスティンの人柄と教養の豊かさに感服し、自分の個人教師になってほしいと頼む。最初は断っていたジャスティンだが、チャックの熱意に負けて勉強を見てやることにする。だが、ひょんなことからチャックの父親の死因と、ジャスティンが起こした事故の原因が明らかになり、それが切っ掛けで2人の関係は終わりを告げる。72年に出版されたイザベル・ホランドの同名小説の映画化だ。
孤独な2人が出会い、気持ちを通わせる筋書き自体、訴求力が高い。そしてギブソンの演出は丁寧で、登場人物の内面をきめ細かく捉える。明らかに本作は、ウィアー監督の「いまを生きる」(89年)と似た構図を持っている。
あの映画で主人公の教師(ロビン・ウィリアムズ)が主宰する“デッド・ポエッツ・ソサエティ”とは違い、この「顔のない天使」での生徒はチャック一人だが、彼がジャスティンを信頼するようになって相手の顔の傷跡が見えなくなったと言うように、過去のトラウマを乗り越えて文字通り“いまを生きる”ことを選んだ2人の決意には感銘を受ける。ラストの扱いは予想が付くが、それでも観ていて気持ちが良い。
ジャスティンに扮するのはギブソン自身だが、彼のフィルモグラフィの中では上位に入る好演だ。チャック役のニック・スタール(これが映画デビュー作)も芸達者である。ドナルド・マカルパインのカメラによる映像、そしてジェームズ・ホーナーの音楽も申し分ない。
1968年。メイン州のリゾート地にやって来たノースタッド家。3人の子供は全て父親が違うという、複雑な事情のある一家だ。長男で12歳のチャックは、家庭に居場所が無い。彼は早めに家を出て、士官学校に入ることを望んでいる。近所に暮らす元教師のジャスティンは、事故で顔半分にやけどを負い、周囲の人間との関係を絶っていた。
そんなジャスティンと知り合ったチャックは、ジャスティンの人柄と教養の豊かさに感服し、自分の個人教師になってほしいと頼む。最初は断っていたジャスティンだが、チャックの熱意に負けて勉強を見てやることにする。だが、ひょんなことからチャックの父親の死因と、ジャスティンが起こした事故の原因が明らかになり、それが切っ掛けで2人の関係は終わりを告げる。72年に出版されたイザベル・ホランドの同名小説の映画化だ。
孤独な2人が出会い、気持ちを通わせる筋書き自体、訴求力が高い。そしてギブソンの演出は丁寧で、登場人物の内面をきめ細かく捉える。明らかに本作は、ウィアー監督の「いまを生きる」(89年)と似た構図を持っている。
あの映画で主人公の教師(ロビン・ウィリアムズ)が主宰する“デッド・ポエッツ・ソサエティ”とは違い、この「顔のない天使」での生徒はチャック一人だが、彼がジャスティンを信頼するようになって相手の顔の傷跡が見えなくなったと言うように、過去のトラウマを乗り越えて文字通り“いまを生きる”ことを選んだ2人の決意には感銘を受ける。ラストの扱いは予想が付くが、それでも観ていて気持ちが良い。
ジャスティンに扮するのはギブソン自身だが、彼のフィルモグラフィの中では上位に入る好演だ。チャック役のニック・スタール(これが映画デビュー作)も芸達者である。ドナルド・マカルパインのカメラによる映像、そしてジェームズ・ホーナーの音楽も申し分ない。