(原題:L'Arbre, Le Maire et La Mediatheque ou Les Hasards)92年フランス作品。監督はエリック・ロメールだが、「クレールの膝」(70年)や「緑の光線」(86年)などの彼の多くの映画とは違って、若い女の子は登場しない(笑)。だから当然、いつもの“誰それと誰ちゃんがデキてしまってどうしたこうした”というレベルの話も無い(再笑)。しかし、その分ロメールの真の特徴が鮮明にあらわれている。実に興味深い作品だ。
パリの南西部に位置する地方都市サン=ジュイールの市長ジュリアンは、町の原っぱに図書館と劇場、プール等を備えた総合文化センターを建設することを発案する。しかし市民の受け取り方は冷ややかだ。
ジュリアンの恋人である小説家のベレニスは懐疑的な姿勢を崩さないし、エコロジー派の急先鋒である小学校教師マルクは、当然のことながら猛反対。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌの雑誌記事は、なぜかマルクが中心になった環境特集になる始末。事態は膠着状態になるが、偶然にマルクの娘ゾエとジュリアンの娘ヴェガが友達となったことから、新たな展開を見せる。
ロメールの映画でもっとも目立つ特質といえば、物語性の欠如である。ドラマを盛り上げようとする大がかりな仕掛けも、凝ったストーリー展開もなし。では何が映画を動かしているかというと、偶然性である。それも普通のドラマツルギーでは考えられない奇妙な偶然によって、映画は唐突に方向転換する。
しかし、それらは決して自然主義に徹したスタンスを取っていない。偶然性は、すべて綿密に計算されたものである。市長と女性ジャーナリスト、教師とその妻、さらには市長と教師の10歳になる娘etc.登場人物が2人寄ればディベート大会が開催され、いかにも西洋人らしい徹底的な議論の洪水は、本人たちが勝手に繰り広げているように見える。まさに外観はドキュメンタリーだ。だが、これをすべて脚本に書いたロメールの屈折度は相当なものである。
全編を七つのパートに分け“もし○○が××しなかったら・・・・”というサブタイトルのもとに完全に仕切っているあたりは“偶然性の優位”を強調する作者の茶目っ気さえ感じられる。ラストがいきなりミュージカルになってしまうのも“突発的な偶然”かもしれないが、これには笑った。
仕組まれた偶然。ノンフィクショナルなフィクション。巧妙に演出された“自然な現実感”。言葉尻だけ捉えればウサン臭さを感じる作風だが、あっけらかんとした屈託のなさと美しい映像、映画の温和なリズムは、それらをカバーするだけではなく、何やらこれが“映画的なユートピア”の一典型ではないかという気がしてくる。
パスカル・グレゴリーやアリエル・ドンバール、ファブリス・ルキーニといった顔触れは馴染みがないが、皆いい演技をしている。一見の価値はある好編だ。