(原題:HOFFA )92年作品。個性派俳優のダニー・デヴィートは、何本か演出も手掛けている。その中で私は本作しか観ていないが、監督としても有能であることが強く印象付けられる出来だ。取り上げた題材も興味深い。
1930年代、インディアナ州の地方都市からデトロイトに出てきたジミー・ホッファは、持ち前の行動力と押しの強さにより、たちまちトラック運転手組合の幹部の座を得る。その言動は過激で、非組合員の勧誘や他の組合との抗争時には躊躇無く暴力に訴えた。また、スト破りを図る経営者側に対抗するため、マフィアとも接近する。
50年代にはアメリカ北部のトラック運転手をほぼ手中にし、航空業界の組合をも支配した。そして60年代には組合員は150万人を超え、ホッファは既成政党も一目置くほどの権力を得る。だが、司法長官のロバート・ケネディに組合の裏資金を告発され、政府との対決姿勢を強めていく。豪腕で知られた労働組合指導者ホッファの伝記映画だ。
アメリカの近代史を、労働組合活動の面から捉えるという姿勢は面白い。それは決して褒められるような事実ばかりではなく、どちらかというと“黒歴史”に近い。労働者の利益になるはずの組合が、実は裏社会と密接に結び付いており、単なるポリティカル・フォースの一つとして機能しているに過ぎないという不条理。労働者は経営側だけではなく、マフィアと結託した組合幹部からも良いように扱われる暗澹たる事実を、本作は過不足無く描き出す。
ただし、見方を変えれば労働運動なんてある種の“パワー”が無ければ成り立たないのであり、マフィアの存在がその一翼を担っているのは当然なのかもしれない。きれい事では政治は動かない。とはいえ、ケネディ兄弟もホッファも結局は時代の流れに押し潰されていく。そのニヒリスティックな状況には嘆息するばかりだ。
デヴィートの演出は力強く、弛緩した部分が見当たらない。また、架空の人物であるホッファの側近ボビー・チャロを狂言回しとして機能させているあたりも的確だ。主演のジャック・ニコルソンはまさに“横綱相撲”で、このアクの強い人物を堂々と演じきっている。ボビーに扮するデヴィートをはじめ、アーマンド・アサンテやJ・T・ウォルシュ、ジョン・C・ライリーと、脇の面子も渋い。特筆すべきはスティーヴン・H・ブラムによる撮影で、茶系を基調とした透き通るような映像には感服する。
1930年代、インディアナ州の地方都市からデトロイトに出てきたジミー・ホッファは、持ち前の行動力と押しの強さにより、たちまちトラック運転手組合の幹部の座を得る。その言動は過激で、非組合員の勧誘や他の組合との抗争時には躊躇無く暴力に訴えた。また、スト破りを図る経営者側に対抗するため、マフィアとも接近する。
50年代にはアメリカ北部のトラック運転手をほぼ手中にし、航空業界の組合をも支配した。そして60年代には組合員は150万人を超え、ホッファは既成政党も一目置くほどの権力を得る。だが、司法長官のロバート・ケネディに組合の裏資金を告発され、政府との対決姿勢を強めていく。豪腕で知られた労働組合指導者ホッファの伝記映画だ。
アメリカの近代史を、労働組合活動の面から捉えるという姿勢は面白い。それは決して褒められるような事実ばかりではなく、どちらかというと“黒歴史”に近い。労働者の利益になるはずの組合が、実は裏社会と密接に結び付いており、単なるポリティカル・フォースの一つとして機能しているに過ぎないという不条理。労働者は経営側だけではなく、マフィアと結託した組合幹部からも良いように扱われる暗澹たる事実を、本作は過不足無く描き出す。
ただし、見方を変えれば労働運動なんてある種の“パワー”が無ければ成り立たないのであり、マフィアの存在がその一翼を担っているのは当然なのかもしれない。きれい事では政治は動かない。とはいえ、ケネディ兄弟もホッファも結局は時代の流れに押し潰されていく。そのニヒリスティックな状況には嘆息するばかりだ。
デヴィートの演出は力強く、弛緩した部分が見当たらない。また、架空の人物であるホッファの側近ボビー・チャロを狂言回しとして機能させているあたりも的確だ。主演のジャック・ニコルソンはまさに“横綱相撲”で、このアクの強い人物を堂々と演じきっている。ボビーに扮するデヴィートをはじめ、アーマンド・アサンテやJ・T・ウォルシュ、ジョン・C・ライリーと、脇の面子も渋い。特筆すべきはスティーヴン・H・ブラムによる撮影で、茶系を基調とした透き通るような映像には感服する。