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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「ビル・カニンガム&ニューヨーク」

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 (原題:Bill Cunningham New York)人間の“器の大きさ”に対して、思い切ったアプローチを敢行している映画だと思った。またそれを可能にした作者の粘りと求心力にも感服する。

 このドキュメンタリー映画が描く素材は、50年以上もニューヨーク・タイムズ紙のファッション欄を担当しているビル・カニンガムなる老カメラマンである。服飾に対する審美眼は随一で、際だった着こなしの人物を求め、日々ニューヨークの街を自転車で走り回り、写真を撮りまくる。

 ファッション界では彼を知らぬ者はいないほどだが、被写体は有名人や業界関係者に限らない。身なりが格好良かったら、通行人だろうと宅配のニイちゃんだろうと構わずカメラを向ける。反対に、どんなにドレスアップしていても“お仕着せ”の服しか身に付けていないセレブには見向きもしない。彼にはそんな自由な態度が許されてしまう性格の良さと人脈の広さがある。また、そのファッションに関する深遠な知識により、デザイナーの作品における過去の“引用元”までも指摘してしまう。

 ところが、服飾に多大な興味を持っている当の本人の身なりはというと、完全に無頓着なのが面白い。年がら年中、作業員が着るような安いジャケットに身を包んでいる。さらに、彼はこのトシになっても独身で、カネにも地位にも興味を持たない。食べることについても関心は無く、豪華なパーティに出席しても料理や酒にはまったく手を付けない。彼が住むアパートの部屋は写真のキャビネット以外のものは何もないと言って良く、とにかく人生のすべてをファッションとカメラに捧げているのだ。

 我々凡人から見ると、カニンガムの生き方は痛快に思える。自分の趣味・嗜好に属さないものはすべて切り捨て、これと決めた道をただひたすらに突き進み、年を重ねる。まるで世の中を超越したかのような存在だ。

 ところが、確かにカニンガムは世間一般の価値観から外れたところにいるが、残念ながら彼の人間としての“器の大きさ”は常人よりも“少しばかり目立っている”という程度なのである。しょせんカニンガムは新聞社のスタッフに過ぎない。後世に名を残すような天才ではないのだ。

 本物の天才ならば、服飾を極めたついでに他の分野でも端倪すべからざる存在感を見せるはず。けれども“器の大きさ”に限界のある彼としては、ファッションに対する造型を深めるために他のことを“捨てる”しかなかった。それが明らかになるのが終盤の展開で、作者の鋭い質問により思わず“素”の顔を見せてしまう。

 一芸に秀でてはいても、それは人間としての平凡な“幸せ”を犠牲にした上での話なのだ。このあたりを垣間見せただけでも、監督リチャード・プレスの長年の苦労(構想8年)が報われたと言えよう。対象を漫然と追っただけの凡百のドキュメンタリー作品とは、格が違う。

 それにしても、ニューヨークという街、そしてそこに暮らす人々の何ともファッショナブルなこと。一度は行ってみたいと思わせる。映画館を出た後、カニンガムの被写体となり得る通行人がいるかどうかと気を付けて歩いてみたが、まことに遺憾ながらこの福岡の街にはあまり見つけられなかった(笑)。

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