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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「私の人生なのに」

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 設定だけ見れば典型的な“お涙頂戴の難病もの”のようだが、内容はとても丁寧に撮られた佳作だ。作品のクォリティはもとより、観ていて人生の在り方について考えさせるほどの求心力を持ち合わせている。観て損は無い。

 体育大学に籍を置き、新体操のエースとして期待されていた瑞穂は、ある日練習中に倒れてしまう。病院に担ぎ込まれた彼女は、脊髄梗塞と診断され、下半身がマヒ。車椅子での生活を余儀なくされる。絶望に打ちひしがれる瑞穂だったが、両親や友人達、指導教官らの励ましを受け、何とか落ち着きを取り戻そうとする。

 ある日、瑞穂は幼馴染みの淳之介と再会する。彼は中学生の頃に北海道に転校していたが、親とは理不尽な別れを強いられ、ストリートミュージシャンとして生きている。瑞穂の窮状を知った淳之介は、この町に舞い戻ってきたのだ。彼は瑞穂に一緒に音楽をやろうと持ちかける。最初は戸惑う彼女だが、彼の熱意に次第に心を動かされる。東きゆうと清智英による同名ライトノベルの映画化だ。

 災難に遭ったヒロインは、それでも恵まれた環境にいることは間違いない。両親とも良く出来た人物で、決して金に困っているような家庭でもない。友人達は協力的で、学校の教員も何かと世話を焼いてくれる。だが、このシチュエーションは御都合主義には見えない。それは、一方でシビアな淳之介の境遇を配置していて、作劇のバランスが取られているからだ。

 彼の父親は不動産取引に失敗して、妻には逃げられた挙げ句に、自分は行方をくらます。家族も住む場所もない彼にあるのは歌だけだ。ここには、不幸は誰にでも襲いかかってくるものだという作者の達観が見て取れる。そして、そこから再出発できる可能性も、また確固として万遍なく存在していることも描いている。

 瑞穂と同じようなハンディを負った女性が“誰でも人生の最後にはすべてを失って終わってしまう。私たちの場合は、その一部を失う時期が早かっただけだ”と言うが、これは心に染みた。また、淳之介の“たとえ身体は不自由でも、歌には自由がある”というセリフも良い。音楽の何たるかを的確に表現している。

 原桂之介の演出は正攻法に見えて、瑞穂と淳之介が並んで歩くシーンを手持ちカメラの長回しで粘り強く捉えるなど、随所に思い切った施策を取り入れているのは見上げたものだ。

 そして、何といっても本作を引っ張るのは主演の知英の大健闘である。セリフ回しはまだ拙い箇所もあるが、表情の豊かさには感服するしか無い。これだけ喜怒哀楽を無理なく表現出来る人材は、同じ二十代の日本の女優陣を見渡してもあまり見当たらない。加えて、冒頭の新体操の場面や車椅子を自在に扱うくだりを見ても、身体能力の高さが存分に印象付けられる。コンスタントに演技の仕事が入っているのも納得できる。

 相手役の稲葉友はこちらも逸材で、ピュアでナイーヴな持ち味が光る。落合モトキや高橋洋、赤間麻里子などの脇の面子の仕事も的確だ。

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