(原題:HIGH ART)91年アメリカ=ブラジル合作。少予算で、拡大公開もされなかったシャシンだが、実際観てみるとキレの良いタッチで引き込まれるアクション編である。ラテンアメリカの映画も捨て難いと思ったものだ。
アメリカ人写真家のピーターは、新たに出版する写真集のためリオデジャネイロで仕事を続けていた。ある日、彼のモデルを勤めた娼婦ジゼラがナイフで殺害され、恋人も何者かに襲われてしまう。ピーターは警察に捜査を依頼するが、彼が外国人であるせいか、まったく相手にしてもらえない。自分で動かなければ埒があかないと決心した彼は、プロのナイフ使いであるヘルメスに“弟子入り”する。殺人ナイフの奥儀を極めようとするピーターは、やがて決定的な事件の手掛かりを掴む。ブラジルの作家ルーベン・フォンテカの小説の映画化だ。
話自体に面白みは無く、あっさりと真犯人の目星も付くのだが、本作はストーリーの捻り具合を楽しむ映画ではない。主人公が“プロの技”を習得するうちに、人格が変貌してゆくという、ニューロティックな趣向を堪能する作品なのだ。
訓練の場面は実に興味深い。鏡に“*”印を付けて、その線に合わせてナイフを何千回と振り回す場面や、疑似的な組み合いのシーンなど、私も習いたいと思ったほどだ(笑)。そもそも、それに銃ではなくナイフを選んだところに、主人公の屈折した心理がよく表現されている。
クライマックスの敵の首魁とのナイフ同士の一騎打ちは、短いシーンながら強烈だ。金のかかったハデな場面を繰り出せばアクションになると思ったら大間違いであり、段取りとキャラクター設定を追い込めば、いくらでもインパクトのある画面を創造できるのである。
ドキュメンタリー出身のウォルター・セールス・Jr.の演出はストイックかつ丁寧で、弛緩したところはない。なお、彼はこの後に「セントラル・ステーション」(98年)や「ダーク・ウォーター」(2005年)といった注目作を手掛けることになる。
主役のピーター・コヨーテは好演だが、何より強烈なのはヘルメスに扮したチェッキー・カリョだ。雰囲気は「ニキータ」でヒロインを殺し屋として鍛え上げた“掃除屋”そのもので、まさに適役である。ホセ・ロベルト・エリーザーのカメラによるブラジルの自然の風景も素晴らしく、観て損のない好編と言える。
アメリカ人写真家のピーターは、新たに出版する写真集のためリオデジャネイロで仕事を続けていた。ある日、彼のモデルを勤めた娼婦ジゼラがナイフで殺害され、恋人も何者かに襲われてしまう。ピーターは警察に捜査を依頼するが、彼が外国人であるせいか、まったく相手にしてもらえない。自分で動かなければ埒があかないと決心した彼は、プロのナイフ使いであるヘルメスに“弟子入り”する。殺人ナイフの奥儀を極めようとするピーターは、やがて決定的な事件の手掛かりを掴む。ブラジルの作家ルーベン・フォンテカの小説の映画化だ。
話自体に面白みは無く、あっさりと真犯人の目星も付くのだが、本作はストーリーの捻り具合を楽しむ映画ではない。主人公が“プロの技”を習得するうちに、人格が変貌してゆくという、ニューロティックな趣向を堪能する作品なのだ。
訓練の場面は実に興味深い。鏡に“*”印を付けて、その線に合わせてナイフを何千回と振り回す場面や、疑似的な組み合いのシーンなど、私も習いたいと思ったほどだ(笑)。そもそも、それに銃ではなくナイフを選んだところに、主人公の屈折した心理がよく表現されている。
クライマックスの敵の首魁とのナイフ同士の一騎打ちは、短いシーンながら強烈だ。金のかかったハデな場面を繰り出せばアクションになると思ったら大間違いであり、段取りとキャラクター設定を追い込めば、いくらでもインパクトのある画面を創造できるのである。
ドキュメンタリー出身のウォルター・セールス・Jr.の演出はストイックかつ丁寧で、弛緩したところはない。なお、彼はこの後に「セントラル・ステーション」(98年)や「ダーク・ウォーター」(2005年)といった注目作を手掛けることになる。
主役のピーター・コヨーテは好演だが、何より強烈なのはヘルメスに扮したチェッキー・カリョだ。雰囲気は「ニキータ」でヒロインを殺し屋として鍛え上げた“掃除屋”そのもので、まさに適役である。ホセ・ロベルト・エリーザーのカメラによるブラジルの自然の風景も素晴らしく、観て損のない好編と言える。