製作意図が全然分からない作品だ。この映画の中では何も描かれていないし、作者は何も描こうとしていない。すべてが空疎で、冴えない映像だけがダラダラと流れてゆく。1時間半ほどの上映時間ながら、とてつもなく長く感じられた。
主人公の初海は3年前の春に恋人を亡くし、それをきっかけに中学校の音楽教師を辞め、現在は近所のそば屋でアルバイトをしながら暮らしている。ある日、彼女のもとにかつての恋人の母親から、彼が彼女に向けて書き遺した手紙が届く。開封する勇気が持てないまま時間が過ぎるが、やがて勤務先のそば屋が店を畳むことになり、彼女は就職活動をする必要性に迫られる。すると、自分の世界に引き籠っていたそれまでの日常から、かつての教え子や友人、そして想いを寄せてくれる青年など、多彩な人間関係の中に身を置くことになる。
とにかく参ったのは、ヒロインとかつての恋人との関係が何も示されていないことだ。後半に初海が相手の実家がある富山県まで足を運び、そこで家族に歓待されるところを見ればどうやら婚約者あるいはそれに近い間柄だったことが窺えるが、具体的なことは一切描かれない。
彼がなぜ世を去ったのか、件の手紙の中身が開示される終盤に至ってもハッキリと分からないばかりか、どうして初海が教師を辞めなければならなかったのか判然としない。さらに言えば、それらを観客に想像させようとする仕掛けさえ存在しないのだ。
主人公を取り巻く人物たちは、誰一人としてキャラクターに血が通っていない。特に初海にモーションをかけてくる藤太郎およびその仲間の描写は、いったい何十年前の映画なのだろうかと思うほど古臭い。
さらに致命的なことは、主人公が音楽教師だったにも関わらず、劇中では何ら音楽が重要なモチーフになっていないことだ。主人公が歌ったり演奏するシーンはもちろん、初海がいつも聴いているラジオから印象的なナンバーが流れることもない。かと思えば場違い的に挿入される“赤い靴”とかいう曲がセンスの欠片もない低調なもので、作者の素養のなさに脱力してしまう。
映像も白茶けたように密度が低く、舞台になる国立市の街並みも、創作手拭いの職人である藤太郎の工房も、富山県の片田舎の風景も、すべてが薄っぺらで深みが無い。監督と脚本は中川龍太郎なる20代の若手だが、まだ力量が備わっていないと思われる。
主演の朝倉あきは熱演ながら、映画の中身が斯くの如しなので“ご苦労さん”と言うしかない。三浦貴大や川崎ゆり子、高橋由美子、志賀廣太郎、高橋惠子といった脇のキャストも精彩を欠く。聞けば第39回モスクワ国際映画祭でいくつか賞を獲得したらしいが、この映画祭のレベルが認識できない以上、その件についてのコメントは差し控えたい。