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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「僕らはみんな生きている」

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 93年松竹作品。公開当時のこの映画の新聞広告が面白かった。第一面の“××新聞”のタイトルの下に大きく“僕”という字が印刷され、中段にいきなり“らは”のこれも大文字、そして下段に“みんな生きている”とあって、映画の内容うんぬんの説明がある、という風変わりなもので、これは映画会社の意気込みなのか、売りにくい題材をなんとかしようとする苦肉の策なのかよくわからないが、目立ったことは確かである(まあ、それはさておき・・・・)。

 大規模な市街戦のシーン。「ディア・ハンター」とロケ地が同じだというジャングルの場面。生々しい描写に、これはひょっとして「アンダー・ファイア」とか「サルバドル/遥かなる日々」みたいな、ハリウッド製発展途上国内乱巻き込まれ映画(なんじゃそりゃ?)のパターンかと一瞬思わせるが、まぎれもない日本映画である。

 しかもよくある“ちょっと気分を変えて海外ロケしたんだけど、中身は旧態依然の日本製田舎芝居”(意味不明)のたぐいとも完全に違う。この舞台、このスタッフ、この配役でしか表現できない、屹立したオリジナリティを獲得している作品でもある。



 東南アジアの架空の国、タルキスタンに出張を命じられた大手ゼネコンの営業マン。ところが商談がまとまりかけた時、突如クーデターが勃発。砲声や機関銃の音が鳴り響く内戦状態になった市街地から何とか逃げ出した4人の日本のサラリーマンは、飛行場目指してジャングルを突破するハメになる。

 まず、スーツ姿にアタッシェケースを提げたまま、ジャングルをさ迷うという設定がいい。そして主人公たちを、ジャーナリストとか政治関係のエージェントにするような、ありがちな設定ではなく、フツーのサラリーマンにした点が新鮮だ。

 一見、ポリシーもアイデンティティもなく、商売のためなら世界のどこへでも行くエコノミックアニマル(死語)。銃弾飛び交う街を“我々は日本のサラリーマンです”と叫び、名刺をばらまきながらヘコヘコと歩き、逃亡用のジープを札束で張り倒して強引に買い取り、極限状態の中でもライバル企業同士の意地の張り合いを続ける主人公たち(ジャングルの中で領収書を切る場面には笑った)。

 ラジオから流れるさだまさしの“関白宣言”にしんみりとなり、海外勤務が延びたことでノイローゼになる。地元のことなど知っちゃいない。単に外国で仕事をしているだけで、近ごろハヤリの“国際人”とはほど遠い存在である。ところが作者はそんな彼らを糾弾しようとはしない。ナマの日本人像として、愛すべき存在として肯定している。ファミコンの残骸から無線傍受装置を作り、捕らえられた仲間を救うべく、ゲリラの前で“商売”をするくだりは、この映画のクライマックスだ。

 “メイド・イン・ジャパンだぞっ。故障なんかするわけないだろ”“オレたちはなぁ、オマエらがコレラ菌のウヨウヨしている川で遊んでいる時、半導体に埋もれていたんだぞ”“オレの親父は大企業に勤務していた。毎年、年賀状は数百枚もらってたんだ。それがどうだ。退職したらたったの数枚に減ったんだぞ。この虚しさがオマエらにわかってたまるか!”次々にタンカを切る彼らの姿に、笑いながらも感動してしまう。

 ネガティヴに描こうとすれば簡単だったろう。でも、底の浅い作品となる恐れも多分にある。そこを“日本人でどこが悪い!”という無謀とも言える(いい意味での)開き直りで押し切った作者の力量に感心すると共に、日本人であることの本質の一端を見せられた思いである。

 監督は滝田洋二郎。ピンク映画から一般映画に転身してからの、「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)「おくりびと」(2008年)と並ぶ彼の代表作だ。自称“ヤンエグくん”の真田広之、妻子に見捨てられても懸命に仕事に打ち込む山崎努、ライバル企業の御曹司で口がうまく商売上手の岸部一徳、その部下で時々意味をとり違える通訳の嶋田久作、それぞれ味のある好演が物語を盛り上げる。会話の面白さは、滝田監督作品ではおなじみの一色伸幸の脚本の功績である。ヘレン・メリルによる「手のひらを太陽に」の主題歌もいい。

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