さっぱり面白くない。別に、これ見よがしのケレンに走るのはダメだという決まりは無いが、出してくるモチーフの大半がツボから“外れて”しまっては、笑うに笑えない。盛り上がりも無ければキャラクターの掘り下げも浅く、眠気を堪えて2時間以上もスクリーンに向き合うのは、正直苦痛であった。
60年代後半。高校を卒業した末井昭は、岡山県の田舎町から大阪の工場に集団就職したが、過酷な仕事に耐えきれずに川崎市の父親の元に身を寄せる。だがそこも居心地が悪く、東京のデザイン専門学校に入学。やがてデザイン会社に入るが、ひょんなことからエロ雑誌の世界へと足を踏み入れる。77年に編集長として「ニューセルフ」を刊行。カメラマンの荒木経惟ら個性的なメンバーが集まって雑誌は売れるが、わいせつ文書販売容疑で発禁となってしまう。それでも懲りない末井は81年に「写真時代」を発刊。一世を風靡する。稀代の編集者として名を馳せた、末井の自伝の映画化だ。
末井の母は、不倫の末に若い男とダイナマイト心中している。それを強調するかの如く、劇中には何度も母親の姿が映し出されるのだが、そのことが末井の生き方にどう投影されているのか、映画は十分に描けていない。単なる主人公の“昔話”以上の価値は見出されないのだ。
それに末井が絵が上手かったことは分かるとしても、どうしてエロ雑誌の製作に邁進するようになったのか不明である。主人公の行動規範が説明されないまま、70年代から80年代にかけての時代風俗ばかりを矢継ぎ早に繰り出しても、白々とした空気が流れるだけだ。しかも、その頃の時代描写自体も上手いとは思えない。
猥雑ではあったが、景気は決して悪くはなく、たとえトラブルに遭遇しても“何とかなるだろう”と楽天的に構え、実際に“何とかなってしまう”ような雰囲気が横溢していたあの時代。そんな空気感をこの映画は少しも再現出来ていない。ただ末井たちの無軌道な言動と、ちっともエロティックではない女のハダカが並べられているだけである。それに末井はサックス奏者としても名を馳せ、後にパチンコ雑誌の発行を指揮する立場にもあったが、そのあたりの描写も取って付けたようだ。
冨永昌敬の演出は平板で、画面が狂騒的である割にはヤマもオチも無い。主演の柄本佑をはじめ峯田和伸、松重豊、村上淳、尾野真千子、嶋田久作と“濃い”面々を集めているのに、実にもったいない話である。
しかも、末井の妻に扮する前田敦子は相変わらずの大根。“AKB一派は映画に出るな!”とのシュプレヒコールが今回も私の心の中で響き渡った(笑)。唯一興味を覚えたのが、末井の不倫相手のメンタルの怪しい女を演じた三浦透子。若いのに体当たりで汚れ役を引き受けた度胸の良さは評価して良い。