とても出来の悪い“アイドル映画”だ。もちろん、鬼畜な題材は通常のアイドル物とは相容れない。しかし、演技スキルも素質も乏しい若手タレントを、周囲が何とか盛り立てて体裁を整えようとする構図は、アイドル映画そのものである。ただ、本作は社会派だの犯罪物だのといったモチーフが散りばめられ、それらしいエクステリアを伴っているあたりが愉快になれない。素直にアイドル物に徹していれば良かったのだ(まあ、それだったら私は観ないけど ^^;)。
新潟の中学校に勤める冴えない教師・藤井赤理は、24歳の誕生日を迎えても誰も祝ってくれない。だが、その日彼女は柏原と小田という2人の中年男に拉致され、雪深い山奥の小屋に監禁されてしまう。2人は赤理のことを“サニー”と呼び、ヒラヒラした衣装を着せ、ビデオカメラを回してネット上で実況中継する。この“サニー”とは、十数年前に同級生を殺害した小学生女児のニックネームのことらしい。柏原と小田はかつての“サニー”の言動を信奉するあまり、同年代の赤理を“サニー”だと思い込んで誘拐したのだ。
必死に監禁部屋からの脱出を試みる赤理だったが、オッサン2人以外の“サニー信奉者”が次々と集結。さらにはその様子を別地点からネット中継しようとする若造や、チンピラとトラブルを引き起こしたカップルなどが加わり、事態は混乱する。
まず、いくら“サニー”と赤理が年齢が一緒で名前も同じらしいといっても、いいトシのオッサン2人がかくも盛大な人違いをやらかすとは考えにくい。だいたい、“サニー”が重い前科を抱えたまま学校の先生になれるわけがないのだ。
さらには、柏原と小田をはじめとする“サニー信奉者”の扱いが実に薄っぺら。ネット表現も陳腐だし、赤理が次第に変貌していく様子をネット上の閲覧者のコメントだけで片付けようとしているのは、何ともアイデア不足である。後半でやっと警察が介入するが、血しぶきの量が増えるばかりで、ドラマとしてはさっばり盛り上がらない。監督の白石和彌は「牝猫たち」(2016年)でも、アップ・トゥ・デートな題材を要領よく集めたつもりで結局はどれもが消化不良に終わっていたが、今回もその轍を踏んでいる。
そして致命的なのは、主演の北原里英の魅力のなさである。かねてより“AKB一派は映画に出るな!”と主張している私だが(笑)、この映画に関しても同様だ。頑張って身体を動かしてはいるが、セリフは棒読みで表情はわざとらしい。見た目もさほど可愛くもないのだ。聞けば彼女は本作でスーパーバイザーを務める秋元康に“白石監督と仕事したい”と言ったらしい。それが今回のセッティングの運びになったということも考えられ、そんな主演者に付き合わされたピエール瀧やリリー・フランキー、駿河太郎といった面々は“ご苦労さん”と言うしかない。
ただ、ネット上に現れた二人目の“サニー”に扮した門脇麦は、さすがの禍々しい存在感を発揮していた。主役の北原とは別次元で、アイドルと俳優との“決定的な差”を見せつける。はっきり言って、門脇が出ていなかったら、途中退場していたと思う。