(原題:BLADE RUNNER 2049 )一体、誰に見せるために作られたのか、よく分からない映画だ。前作のファンの観客ならばすでに中年以上になっており、しかも絶対数がそれほど大きいとは思えず、興行的には期待できない。かといって若年層を呼び込めるほど娯楽的要素は多くはない(何しろ活劇場面はわずかである)。加えて2時間43分という長丁場で、本国で興行面では振るわなかったのも納得出来るような内容である。
前作から約30年経った西暦2049年のカルフォルニア。かつてレプリカントを製造していたタイレル社は破綻し、実業家ウォレスによってその資産と経営は受け継がれていた。だが、不正な初期モデルは依然世の中に存在しており、当局側はそれらの捕獲作業に追われていた。ロス市警に勤務するKはその任務に就いているが、彼自身もレプリカントである。
ある日Kは、事件現場から妊娠・出産後に死亡した女性レプリカントの遺骨を見つける。本来生殖能力が無いはずのレプリカントが子供をもうけたことが公になれば社会的影響が大きいため、Kの上司は事実の隠滅を命じる。一方、ウォレスはいまだ達成出来ないレプリカントの生殖能力の秘密を独占するため、彼の秘書のレプリカントのラヴを使って証拠品を警察から盗み出そうとする。独自に捜査を続けるKは、昔レプリカントの女と逃亡して姿をくらましたデッカードの存在に行き着く。
私は前作を、封切当時にガラガラの映画館で観ている。正直、煌びやかな映像効果以外にはほとんど印象に残っていない。そのことを勘案しても、この続編にはまるでピンとこない。主人公のKはレプリカントだが、いくら自身のアイデンティティを突き詰めようという“哲学的”な方向性に持っていこうとしても、しょせんは“人にあらざる物”だ。興味は湧かない。しかも、演じるライアン・ゴズリングの仏頂面が、感情移入を遠ざける。
いっそのことハリソン・フォード扮する元ブレードランナーのデッカードを主人公にした方が良かったと思うが、困ったことに彼が出てくるのは中盤以降だ。ドゥニ・ヴィルヌーヴの演出は粘っこいが、大した内容は語っていない(まあ、いつも通りだが ^^;)。
尻切れトンボのようなラストには面食らったが、ウォレス社長の“その後”とか、終盤にチラッと出てきた“レジスタンス組織”みたいな連中の動向などの気になるモチーフは放り出したままだ。ベンジャミン・ウォルフィッシュとハンス・ジマーによる音楽はハッタリを効かせるばかりで、あまり感心しない。
唯一興味深かったのが、Kと“同居”するAIフォログラムの女の子ジョイ。絵に描いたような“萌えキャラ”で、男の願望を表現しているようで苦笑するが、演じるアナ・デ・アルマスが凄く可愛い。将来、こういうのが一家に一体配備されるようになれば、少子化が昂進して困ったことになるだろう。