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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「シザーハンズ」

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 (原題:EDWARD SCISSORHANDS )90年作品。終始居心地の悪さにイライラしっぱなしだった。この頃のティム・バートン監督はやっぱりどこか“変”である。その“変”というのは、もちろん映像感覚がフツーではないということもあるが、同じ“変”な映画作家である、たとえばサム・ライミやピーター・グリーナウェイなんかとは決定的に何かが違う。

 ライミらが過激な映像を作るのは観客に自己をアピールしたいためである。つまり“観客対作者”という健全(?)な図式にのっとって映画を作っているためで、これは映画作家にとって至極当然の態度である。しかし、バートンには“観客”という概念がまるで欠如しているように思えた。



 これはまた一頃の日本映画に多かった“観客を無視してひとりよがりの作品を作る”ということでもない。“観客を無視して自分の趣味に走ろう”と意識的にあるいは無意識的に思った時点で、すでに“観客”のことを考えたことになるのだ。

 当時のバートンは完全に観客のことを考えてはいない。おそらくは自分の作ったものを他人が見る、ということ自体がすでに彼にとって理解の外にあるのだ。自分の作った映画だけが自分にとっての“現実”であり、“夢”であり、すべてなのだ。おそらくバートンは映画監督をやっていなければ社会的落伍者になっていただろう。総合芸術である映画だけが、彼の“現実”を作り出す手段なのだから。

 こういう自分だけの世界に入り込んで出てこない人間を“おたく”という。この「シザーハンズ」は“おたく”映画の極北だと思う。

 手だけがハサミの人造人間の主人公(ジョニー・デップ)。彼を愛する少女(ウィノナ・ライダー)。彼に敵意を燃やす周囲の人々。パステル・カラーの家並。浮世離れしたファッション。氷をハサミで削って麓の街に雪を降らせるラスト・シーン、それがこの街に雪が降るようになった理由なのだ。

 感動的な話だとする向きもある。とんでもない。これのどこが感動的か。他人の夢に無理矢理つき合わされた不快感だけが残った。面白いところといえば、ハサミで庭の植木や髪の毛をユニークな形に剪定する場面ぐらいか。それだって別にどうということはない。

 作品自体、他人に見せることなどハナから考えていないため、この映画に対するあらる批評は無意味である。“おたく”監督の隔絶されたイメージなんて私には関係ない。観客あっての映画だと常々考える私にとっては、このような映画は一番相手にしたくないタイプである。

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