(原題:DEMOLITION)作者のスノッブな姿勢が散見され、ケレン味たっぷりの映像処理や演出が目白押し。こりゃハズレかなと思ったら、最後は何とか格好が付いた形になり、取り敢えずホッとした(笑)。まあ、場合によってはこのような語り口も許容されるのだろう。
デイヴィスはウォール街で腕を振るうエリート金融マンだ。とはいえ毎日“売った、買った”という業務を机上の数字だけでやり取りするのは、味気なくもある。ある朝、突然の交通事故で妻が他界してしまう。ところがデイヴィスは全然悲しみを覚えない。彼女は自分にとって何だったのかと、悩みは深くなるばかり。
会社の社長でもある義父は“とにかく、一度何もかも壊してしまい、それから身の振り方を考えろ”と言うが、それを真に受けた彼は本当に身の回りのあらゆるものを破壊し始める。そんな中、デイヴィスは自動販売機の不具合を自販機メーカーに訴えたところ、思いがけず消費者対応係のシングルマザー、カレンと知り合う。彼女と仲良くなると同時に、妻との関係性を思い返してみる彼だが、やがてデイヴィスは妻が遺していったものを見付けることなる。
本作の設定は西川美和監督の「永い言い訳」(2016年)と似ている。だが、映画が始まる前から夫婦仲が冷え切っていた「永い言い訳」に対し、この映画の主人公はどうして妻の死を悲しめないのか分からない。だからということでもないが、やけくそになったデイヴィスの奇行は目に余る。
彼は職場の備品はもちろん、家具調度品や、ついには自宅そのものを壊していく。それらのシーンをハッタリかました演出で大仰に盛り上げようとするジャン=マルク・ヴァレ監督は、悪ノリしていると言われても仕方がないだろう。
しかし、そんな乱行も亡き妻の想いが明らかになる終盤とのコントラストを際立たせるという意味で、それなりの合理性を持っていることは分かる。世の中、偽善やゴマカシばかりが横行して斜に構えて生きることを余儀なくされる面もある。だが、本当の善意は確実に存在し、それを見つけるまでには本作の主人公のようにハードな試行錯誤が必要だ。そのことを変則的に訴えている本作の有り様は捨てがたい。
主演のジェイク・ギレンホールは絶好調。大きな目をギョロつかせながら、理不尽な立場に追いやられた男を軽いフットワークでこなしている。カレン役のナオミ・ワッツも相変わらず達者だ。クリス・クーパーやジューダ・ルイスなど、脇の顔ぶれも良い。なお、原題から懸け離れたこの邦題の意味は、最後に分かる。