(原題:10 CLOVERFIELD LANE )基本的にワン・アイデアの映画なのだが、まさに“身の程をわきまえた”範囲内で全力投球して作られており、楽しめる佳作に仕上がっている。100分程度に上映時間を抑えているところも良い。どんな素材でも、その性質を見極めた上で手を抜くことなく取り組めば、かなりの成果を得られるものなのだ。
恋人と別れた傷心のミシェルは、荒野の中を車で走らせている途中、交通事故に遭う。目覚めると、そこは見知らぬ狭い部屋で、彼女はなぜか拘束されていた。何が起こったのか分からず狼狽えるミシェルの前に現れたのは、ハワードと名乗る大男だった。彼はミシェルを事故現場から助け、ここに運び込んだのだと言う。
殺風景なその場所は地下シェルターで、ハワードの話によると外の世界で大変なことが起き、地球は滅亡寸前だというのだ。他にはエメットという若い男もそこに“滞在”しており、外部の状況が全く分からないまま、3人はシェルターで生活するようになる。だが、偶然に天窓から外を見ることができたミシェルは、周囲がただならぬ事態に陥っていることに気付く。同時にハワードが異常性を発揮するに及び、ミシェルは絶体絶命のピンチに直面する。
映画に登場するのはほぼ3名のみで、舞台は狭い地下住居。外部は危険が潜んでおり、一方で隔絶されたスペースでは得体の知れない人物に向き合うという、板挟みになったヒロインの焦燥と恐怖が画面を彩り、観る者を最後まで引っ張っていく。B級SFながら脚本は良く出来ており、主人公がハワードに疑いを持つようになるプロセスや、前半に散りばめられた伏線が終盤で機能していく様子には感心した(シナリオに「セッション」のデイミアン・チャゼルが参画している)。
これがデビュー作となるダン・トラクテンバーグの演出は手堅く、中だるみする箇所が見当たらない。クライマックスのバトル場面も無難にこなし、ラストのヒロインの“決断”にもグッとくる。ミシェルに扮するメアリー・エリザベス・ウィンステッドの頑張りは要注目だが、それよりも凄いのがハワード役のジョン・グッドマンだ。前半は偏屈、後半は変態という正常ならざる人物を、実に賑々しく演じて圧巻である。特に終盤近くで、身なりを整えた後にミシェルに迫るあたりはケッ作。このオヤジの演技面での馬鹿力が全面開示している。
エメットを演じるジョン・ギャラガー・Jr.と“声だけ出演”のブラッドリー・クーパーもイイ味を出している。関係ないが、この映画の構造は2016年のアカデミー候補作「ルーム」に似ている。だが、鑑賞後の満足感は本作が遙かに上だ。主要アワードのノミネート作が必ずしも良い映画だとは限らないことを、改めて実感した。