(原題:FRIED GREEN TOMATOES)91年アメリカ作品。作品を構成するのは、時代も主人公も異なる二つのストーリーである。ひとつは現代、老人ホームにいる82歳の老婦人ニニー(ジェシカ・タンディ)と、偶然彼女と知り合った40代の主婦エブリン(キャシー・ベイツ)の物語。もうひとつは、ニニーによって語られる物語で主人公はイジー(メアリー・スチュアート・マスターソン)とその女友達ルース(メアリー・ルイーズ・パーカー)。交差して展開する二つの物語を、微妙に関連させていくのが、この脚本のねらいであろう。
ニニーが語るのは、50年前の出来事。ルースの暴力的な夫が殺された事件をサスペンスフルに描く中から、男まさりのイジーとルースとの深い友情を浮き彫りにしていく。この物語に引き込まれ、イジーの自由で行動的な生き方やルースの優しさに、除々に影響されていくのがエブリン。
彼女は、大きな不満があるわけではないが、すきま風のような寂しさと倦怠を感じている主婦である。生活を変えたいと思いつつ出来ないままでいたのが、50年前の女たちに勇気づけられ、いつの間にか元気になってしまう。
さて、よくできたハートウォーミングなドラマだけど、性格の悪い(笑)私にとっては、このテの映画は苦手なのだ。すべてが予定調和。誰も彼も幸せになってああよかったねえ、としみじみ感慨にひたるほど、こちらはお目出たくない。
最初ニニーが昔話をするところからラストのネタが割れてしまうし、だいたい一人くらいユニークな友人が出来たからといって、人間簡単に生活を変えられりゃ苦労しない。せいぜい、イジーに影響されて“ルワンダー!”と叫びながら家をぶっ壊すくらいが関の山(このシーンのK・ベイツはもろ「ミザリー」)。変えられるのは他人の進言や忠告ではなく、物と金だけだ。この映画は何もかもきれい事なのである。
ジョン・アヴネットの演出はひたすらウェルメイドに徹する。きれいな映像、出演女優陣の好演、褒める要素には事欠かないものの、観る者を挑発する毒もなければ内面描写のイヤらしさもないこの作品。アメリカでも好評であったし、我が国でも公開当時はウケが良く、映画雑誌のベストテンにも入っている。でも、正直言って、観たあと30分もしたらすべて忘れてしまった私であった。
ニニーが語るのは、50年前の出来事。ルースの暴力的な夫が殺された事件をサスペンスフルに描く中から、男まさりのイジーとルースとの深い友情を浮き彫りにしていく。この物語に引き込まれ、イジーの自由で行動的な生き方やルースの優しさに、除々に影響されていくのがエブリン。
彼女は、大きな不満があるわけではないが、すきま風のような寂しさと倦怠を感じている主婦である。生活を変えたいと思いつつ出来ないままでいたのが、50年前の女たちに勇気づけられ、いつの間にか元気になってしまう。
さて、よくできたハートウォーミングなドラマだけど、性格の悪い(笑)私にとっては、このテの映画は苦手なのだ。すべてが予定調和。誰も彼も幸せになってああよかったねえ、としみじみ感慨にひたるほど、こちらはお目出たくない。
最初ニニーが昔話をするところからラストのネタが割れてしまうし、だいたい一人くらいユニークな友人が出来たからといって、人間簡単に生活を変えられりゃ苦労しない。せいぜい、イジーに影響されて“ルワンダー!”と叫びながら家をぶっ壊すくらいが関の山(このシーンのK・ベイツはもろ「ミザリー」)。変えられるのは他人の進言や忠告ではなく、物と金だけだ。この映画は何もかもきれい事なのである。
ジョン・アヴネットの演出はひたすらウェルメイドに徹する。きれいな映像、出演女優陣の好演、褒める要素には事欠かないものの、観る者を挑発する毒もなければ内面描写のイヤらしさもないこの作品。アメリカでも好評であったし、我が国でも公開当時はウケが良く、映画雑誌のベストテンにも入っている。でも、正直言って、観たあと30分もしたらすべて忘れてしまった私であった。