(原題:Brainstorm)83年作品。SFXスーパーヴァイザーのダグラス・トランブルが秀作「サイレント・ランニング」(71年)に続いてメガホンを取った作品で、興行的には成功していないが、アイデアは面白い。もっと評価されて良い映画だ。
ノースカロライナ州にあるエヴァンス電子研究所では、革命的な実験が行なわれていた。リリアン・レナルズ博士とするチームは、脳に直接情報を入出力する装置“ブレインストーム”を開発しており、それが完成間近の段階に達している。これは自分の体験を他人と共有出来る機能もあり、軍は洗脳マシンとして使えると判断してこの研究に介入しようとする。
そんな中、リリアンは心臓発作で急逝。だが、死ぬ直前に装置を起動して死ぬ間際から死後までを記録する。リリアンの共同研究者であったマイケルは“ブレインストーム”に残された彼女のデータを守るべく、妻カレンの理解を求めながら軍の圧力に対抗していく。
この装置を通して見る画像は魚眼レンズを使ったような歪んだタッチで表現されているが、下手に特殊効果を付与するよりも数段“それらしく”思える。おそらくは機械に記録された人間の“体験”というものは、こういう感じでデフォルメされているのだろうと納得した。また、その映像の“揺れ具合”が我々が睡眠中に見る夢に通じているあたりも面白い。
臨死体験のイメージは魂が天上に舞い上がるというもので、まさにそれ以外に表現出来ないといった展開だが、無数の水晶玉が空中に浮いているのが印象深い。たぶんその一つ一つがメモリーの役割を果たしているのだろう。
マイケルと軍の駆け引きはありがちの話になるが、“ブレインストーム”の解析によって彼が妻とヨリを戻すのは、気が利いたモチーフだと思う。しょせん人間の記憶なんかデータの集まりだ。しかし、それらを組み合わせて再構築できるのも、また人間なのである。より建設的な方向でデータを並べ替えれば、壊れた人間関係も修復出来るという、そんな作者のポジティヴなスタンスが見て取れる。
マイケルに扮するクリストファー・ウォーケンとリリアン役のルイーズ・フレッチャーは好演。カレンを演じたナタリー・ウッドは、残念ながらこれが遺作になってしまった。リチャード・ユーリチックの撮影とジェームズ・ホーナーの音楽も、作品に風格を与えている。
ノースカロライナ州にあるエヴァンス電子研究所では、革命的な実験が行なわれていた。リリアン・レナルズ博士とするチームは、脳に直接情報を入出力する装置“ブレインストーム”を開発しており、それが完成間近の段階に達している。これは自分の体験を他人と共有出来る機能もあり、軍は洗脳マシンとして使えると判断してこの研究に介入しようとする。
そんな中、リリアンは心臓発作で急逝。だが、死ぬ直前に装置を起動して死ぬ間際から死後までを記録する。リリアンの共同研究者であったマイケルは“ブレインストーム”に残された彼女のデータを守るべく、妻カレンの理解を求めながら軍の圧力に対抗していく。
この装置を通して見る画像は魚眼レンズを使ったような歪んだタッチで表現されているが、下手に特殊効果を付与するよりも数段“それらしく”思える。おそらくは機械に記録された人間の“体験”というものは、こういう感じでデフォルメされているのだろうと納得した。また、その映像の“揺れ具合”が我々が睡眠中に見る夢に通じているあたりも面白い。
臨死体験のイメージは魂が天上に舞い上がるというもので、まさにそれ以外に表現出来ないといった展開だが、無数の水晶玉が空中に浮いているのが印象深い。たぶんその一つ一つがメモリーの役割を果たしているのだろう。
マイケルと軍の駆け引きはありがちの話になるが、“ブレインストーム”の解析によって彼が妻とヨリを戻すのは、気が利いたモチーフだと思う。しょせん人間の記憶なんかデータの集まりだ。しかし、それらを組み合わせて再構築できるのも、また人間なのである。より建設的な方向でデータを並べ替えれば、壊れた人間関係も修復出来るという、そんな作者のポジティヴなスタンスが見て取れる。
マイケルに扮するクリストファー・ウォーケンとリリアン役のルイーズ・フレッチャーは好演。カレンを演じたナタリー・ウッドは、残念ながらこれが遺作になってしまった。リチャード・ユーリチックの撮影とジェームズ・ホーナーの音楽も、作品に風格を与えている。