(原題:STARBUCK)楽しい映画である。しかし、物足りない点があるのも確かだ。これはたぶん、作者が“いい人”であるためだろう。ここで“いい人であることの、いったいどこが悪いのか”という突っ込みが入るのかもしれないが(笑)、ポジティヴ一辺倒では私のようなヒネくれた映画好きは満足しないことも多々あるのだ。いくら食材が良くても、スパイスが利いていないと料理が美味しくならないのと一緒である(なんじゃそりゃ ^^;)。
カナダのケベック州に住むダヴィッドは、40歳過ぎても独身のまま。仕事はいい加減で甲斐性は無く、挙げ句の果てには借金取りに追いまくられる始末だ。ある日、彼が若い頃にアルバイト代わりに精子を提供した結果生まれてきた“子供たち”が、父親の身元開示を求めて裁判を起こしたことを知る。その数何と533人で、そのうちの142人が原告だという。
ダヴィッドとしてはそんな面倒なことに巻き込まれるのはまっぴら御免だが、ふとした好奇心から身分を隠して“子供たち”の何人かに会いに行くと、それぞれが自身の人生に向き合って奮闘していることを知ってしまう。そんな“子供たち”の姿を目の当たりにして、彼は自分の今までの生活を見直そうとする。
ダヴィッドはズボラだが憎めない人物で、彼の“子供たち”の中にも悪人はいない。今まで不真面目に日々を送ってきたかに見える彼のような人間でも、善意があればふとしたきっかけで立ち直れるという、底抜けの楽天性に貫かれた映画だ。パトリック・ユアール扮するダヴィッドのキャラクターは嫌味が無く、周りの連中との掛け合いも楽しい。ケン・スコットの演出はテンポが良く、ギャグの振り方も申し分ない。そしてもちろん、映画には冒頭からハッピーエンドを約束されたようなエクステリアが付与されている。
だが、どうにも不完全燃焼の部分がある。ダヴィッドはダメ男という設定だが、彼は皆から好かれている。婦人警官のガールフレンドもいれば、弁護士の親友もいる。母親には死に別れたが、父親も二人の兄たちも人格者だ。そもそも、精子提供のバイトの目的だって自分のためではなかったのだ。その意味では彼はちっとも“ダメ”ではない。同世代のカタギの連中でも、彼より幸せでない者はいくらでもいる。ダヴィッドは単に不器用だったから、ずっと貧乏くじを引いてばかりだったに過ぎない。
こういう“本来ハッピーになるべき不遇な人間が、晴れて今回ハッピーになる映画”というのは確かに肌触りは良いが、何となく予定調和に過ぎる気がする。これがたとえば、主人公が友人も恋人もおらず、家族とも疎遠で仕事も出来ない真の意味での“ダメ人間”だったらどうだろう。
そんな本当に冴えない奴が、実は533人の“子供たち”がいることを知り、一念発起して立ち直ろうと藻掻き苦しむ・・・・という筋書きならば、もっと求心力のある骨太な作品に仕上がったかもしれない。そういうことが気になって、面白さも100%には達しなかった。