(原題:Vera Drake)2004年イギリス作品。どうもピンと来ない映画だ。マイク・リー監督作は「秘密と嘘」にしても「人生は、時々晴れ」にしても、物語性よりキャラクターの周辺を描き込むことにより観客を映画の方に引っ張ってゆく手法に特徴があると思っていた。シナリオなしで即興性をメインにした演出法も、徹底して各キャラクターを地に足が付いたものにして、ストーリーを登場人物の視点で追えるように工夫したものだろう。ところが本作は不必要に物語が先行している。これでは評価出来ない。
1950年のロンドン。労働者階級が住む界隈に居を構える家政婦のヴェラ・ドレイクは、愛する夫のスタンと二人の子供に囲まれて平穏な生活を送っているように見えたが、実は大きな秘密を抱えていた。不用意に妊娠をしてしまった周囲の女たちに、非合法の堕胎の手助けをしていたのだ。ある日、ヴェラが堕胎を施した若い女の体調が急変し、それが警察の知るところになり彼女は逮捕されてしまう。家族は最初仰天するが、やがてヴェラにもそれなりの事情があったことを理解し、彼女の帰りを待ち続けることを決意する。
当時は中絶は禁止されており、それを勝手にやることは犯罪で、それ以前に素人療法は危険だ。事実、いい加減な処置をしたおかげで“患者”の一人は命を危険にさらす。こんな危ない橋を渡っていたヒロインも、素顔は面倒見の良いオバサンに過ぎませんでした・・・・ということを描いて、いったい何になるのだろうか。
映画が主張するのは“分かっちゃいるけど、やめられない”という小市民の無責任さか、あるいは無用な妊娠をした女性の愚かさか、中絶を認めない社会に対するフェミニズム的視点か、それともヒロインみたいな“普通の善人”を罰してしまう政府への抗議なのか、いずれにしても“語るに落ちる”レベルである。
もしもこのネタでマイク・リー的アプローチが可能であるならば、主人公がこの“犯罪”に手を染めねばならなかった最初の動機を微細に描くことだろう。その他の、彼女の“犯罪”が前面に出るような作劇では、どう逆立ちしても(安っぽい)社会派ドラマにしかならない。それはこの監督には不向きだ。
主演のイメルダ・スタウントンは好演だし、歴史考証も万全。茶系を基調にした映像も美しい。また2004年度のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と主演女優賞を受賞している。しかし内容がこれでは、苦言を呈するしか無い。