(原題:her )面白い。人間と機械や人工知能との“恋愛”というネタは過去に何回も取り上げられてきたが、本作は“仕込み”が堂に入っており、一筋縄ではいかない奥深さを見せる。さすが屈折した持ち味が特徴のスパイク・ジョーンズ監督作だ。
近未来のロスアンジェルス。ロマンティックな文章を得意とする代筆ライターのセオドアは、妻のキャサリンと離婚することになり、鬱々とした毎日を送っていた。そんな時、セオドアは“意志を持つ”という宣伝文句に惹かれて新式の人工知能型OSをダウンロードする。そのOSはサマンサと名乗り、声のみで画像は表示されないものの、かゆいところに手が届くようにセオドアをフォローしてくれる。やがて彼は“彼女”を好きになっていく。
コンピューターに恋愛感情を抱くというのは当人が“未熟”であるからに他ならず、やがて現実とのギャップに気付いて目に見えて成長した様子を見せる(あるいは、逆にますます陰にこもる)・・・・といった在り来たりのルーティンは踏襲されていない。何せテクノロジーが現代よりもいくらか進んでいるという時代設定で、しかも主人公は普段コンピューターを使って仕事をしているのだ。サマンサがいくら当意即妙の受け答えをしてくれても、相手は精巧なプログラムに過ぎないことはセオドアも分かっている。
それでも、彼のように愛する人に裏切られたり、他人の心が分からなくなって悩んだりする時、それをサポートしてくれるならば相手が機械でも何でも良いのではないか。コンピューターに恋してどこが悪いのだろうか。そもそも人間の頭脳だって、高度に発達したプログラムの一種だと言うことも出来よう。
サマンサはシチュエーションによって“進化”を遂げるOSらしく、やがてセオドアとの“スキンシップ”を望むようになる。最初はテレフォン・セックス(笑)みたいなものを試してみるが、ついには両者の関係に興味を持った女の子を“身代わり”として一夜のパートナーに送り込むという荒業までも披露する。
だが、そんなことを経てサマンサは肉体がない自分をより強く自覚するに至るのだ。逆に言えば、肉体を持たないことのメリットもある。何しろ、彼女自身が言うようにどこへでも行きたいところに行けるのである。ここでセオドアの代筆業としての立場が脚光を浴びてくる。相手が遠くにいて会えなくても、手紙は届けられる。そして手紙は出す者の内面を投影する。そのシステムは声だけの存在であるサマンサと、いったいどこが違うのか。
セオドアがそんな“新しい関係”を見出した矢先に、サマンサは彼の元を去る。同時に彼は新しい局面に踏み込む。それは機械しか相手に出来ない彼の“未熟さ”からの脱却ではなく、これ見よがしな“成長”の描出でもない。ひとつの恋愛関係を経た後の、(普遍的とも言える)身の振り方に過ぎない。これらは変化球的な展開であるが、決して奇を衒ったSFに限定された表現方法では無い。真っ当なラブストーリーとして完成を遂げている。だから、感銘度も正攻法的に高いのだ。
主演のホアキン・フェニックスは好演。こういう“緩い”キャラクターもこなせる人だとは思わなかった。サマンサはスカーレット・ヨハンソンが声だけで演じるが、これが絶品であり助演女優賞ものだ(笑)。主人公の女友達を演じるエイミー・アダムス、別れた妻に扮するルーニー・マーラ、共に良い仕事をしている。凝った美術も見ものだが、特筆すべきは衣装デザインの見事なこと。特にA・アダムスが着るスーツ等の造型は素晴らしく、年相応の可愛らしさが引き立っていた。こういうエクステリアをチェックするだけでも観る価値はある。