Quantcast
Channel: 元・副会長のCinema Days
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

「コットンテール」

$
0
0
 (原題:COTTONTAIL)イギリス人の監督および脚本による日英合作だが、いわゆる“えせ日本”はハリウッド映画なんかに比べれば希薄ではあるものの、随分と不自然な描写が目立つ。特に主人公の言動には整合性が無く、観る側が感情移入出来る余地が見出せない。もっとシナリオを、日本のスタッフやキャストと相談しながら詰める必要があった。映像には見るべきものがあるだけに、もったいない話である。

 大島兼三郎は60歳代の作家で、最愛の妻である明子を若年性アルツハイマー症によって失ったばかりだ。葬儀が終わった後に、彼は寺の住職から一通の手紙を受け取る。それは生前の明子から住職に託されたもので、内容は明子が愛したイギリスのウィンダミア湖に遺灰をまいて欲しいというものだ。兼三郎は遺言を叶えるために、確執があって疎遠になっていた息子の慧(トシ)とその妻さつき、4歳の孫エミと共に渡英する。だが、何かと息子と意見が合わない兼三郎は、たった一人でロンドンから湖水地方に向かってしまう。



 冒頭、兼三郎が市場で高価な魚の切り身を万引きするシーンから、観ていてイヤな気分になってしまう。さらには妻の葬儀に際しては何ら当事者意識を持っておらず、慧に急かされてようやく腰を上げる始末。単身ウィンダミア湖を目指す彼は地図も持たず、そもそも目的地行きの列車を乗り間違えてしまうというのは失当だろう。さらには自転車を盗み、次に知り合った現地の親子の世話になるのだが、その扱いは尻切れトンボに終わる。

 驚くべきことに、明子が伝えたウィンダミア湖の具体的スポットは特定出来ていない。手がかりは一枚の写真だけという、随分とお粗末な筋立てだ。兼三郎と慧の関係性は上手くいっていないことはセリフで示されるが、何がどう不仲なのか明示されない。兼三郎は作家として大成せず、年を取っても明子と団地で暮らしているという侘しさもさることながら、若い頃の2人の出会いのシークエンスは有り得ない。見合い同然の初対面なのに寿司屋で酒を酌み交わすなんてのは、製作陣の誰かがNGを出すべき案件だ。

 脚本も担当したパトリック・ディキンソンの演出はぎこちなく、英国人だけのドラマにした方が数段訴求力が高まったはずだ。それでも主演のリリー・フランキーをはじめ、錦戸亮に高梨臨という主要キャストは熱心にやっていたとは思う。また明子に扮する木村多江と、若い頃の彼女を演じる恒松祐里が似た雰囲気を持っていたのには感心した。マーク・ウルフのカメラによるイングランド北西部の風景は美しく、ステファン・グレゴリーの音楽も良好なのだが、映画の中身をフォローするには至っていないのが残念だ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

Trending Articles