Quantcast
Channel: 元・副会長のCinema Days
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

「ハンナ・アーレント」

$
0
0

 (原題:Hannah Arendt )素材に対する考察は限りなく浅く、単にエピソードを漫然と並べているに過ぎない。伝記映画としては落第点だ。監督のマルガレーテ・フォン・トロッタが過去に撮った「ローザ・ルクセンブルク」(87年)と同じく、凡庸な展開である。やはりこの作家は歴史上の有名人物を扱うよりも、「鉛の時代」(81年)のように名もなき者をミクロ的に描く方がサマになると思う。

 戦前のドイツに生まれたユダヤ人の女性哲学者ハンナ・アーレントは、ナチス政権による迫害を逃れてアメリカへ亡命、大学教授として文筆活動に勤しんでいた。60年代初頭、彼女は元ナチス高官アドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記事を執筆・発表するが、読者からはアイヒマンを擁護するような内容だと受け取られ、大論争を巻き起こす。特にユダヤ人コミュニティからのバッシングは熾烈を極め、アーレントは窮地に追いやられる。

 彼女はその論評の中で、アイヒマンは冷酷非情な怪物ではなく、単に上官の命令を遂行しただけの凡庸な官吏でしかないと喝破している。しかし、劇中では彼女がどうしてそのような結論に至ったのか、具体的な理由は一切示されていない。斯様に最も重要なポイントがネグレクトされた時点で、この映画は“終わった”と言って良いだろう。

 ハンナ・アーレントが説いた“悪の陳腐さ”というフレーズは、思考する能力の欠如こそが不幸な結果に繋がることを指しているが、残念ながらこの言葉が当てはまるのは監督のフォン・トロッタ自身であったようだ。

 なぜヒロインがああいう行動に出たのか、どのようなプロセスでユダヤ人団体やマスコミが頭ごなしに決めつけてきたのか、そういうことに対して理に叶った“思考”をまったくせずに、ただ現象面の事物を追っているような態度は、当のアーレントからすれば途轍もなく愚かに見えることだろう。

 主人公がイスラエルに足を運ぶくだりや、師匠のハイデッガーとの関係性、そして旦那のハインリヒが病に倒れてからの展開などはいくらでもドラマティックに描けるはずだが、どれも及び腰。こんな調子でラストのヒロインの“大演説”に感心しろと言われても、そうはいかない。

 アーレント役のバルバラ・スコバは外見や所作をいかにも“それらしく”こなしていて好演だが、映画自体に筋が通っていないので、無駄骨を折るばかり。他のキャスティングも特筆すべきところはない。

 わずかに印象的だったのが、ハーレントの講義スタイルだ。とにかく、ひっきりなしにタバコを吸っている。この頃は“誰でも成人すれば、タバコを吸うのは当たり前”みたいな風潮があったとは思うし、ヒロインが“職場”で喫煙するのも当然なのだが、現在同じような行動を取れば山のようなクレームが付くだろう(笑)。まさに“時代は変わる”である。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2422

Trending Articles