(原題:AFTER EVERYTHING)2024年2月よりNetflixより配信。各登場人物の関係性がいまひとつ掴めないと思って眺めていたが、実はこれシリーズ物の一作で、本作の前に数本の“前日談”が存在しているということを鑑賞後に知った(笑)。それはともかく、アナ・トッドによる(若者向け)恋愛小説の連作の映画化なので、実にライトな建て付けでそれほどの深みは無い。では全然面白くなかったのかという、そうでもない。含蓄のあるセリフは挿入されているし、何より映像が素晴らしくキレイだ。その意味では観て損したという気はしない。
英国の若手作家のハーディン・スコットは、デビュー作「アフター」が好評を博したものの2作目が書けず酒に溺れる毎日だ。1年以上のスランプ状態のまま、彼は気分転換を兼ねて過去に付き合いのあったナタリーの住むリスボンに向かう。ハーディンには「アフター」執筆時にテッサ・ヤングという恋人がいて、小説の内容が彼女との関係性を赤裸々に綴っていたものらしく、そのためテッサは彼の元を去って行った。だがハーディンは彼女のことを忘れられず、それがスランプの原因の一つでもあったのだ。リスボンでも新作の構想は浮かばず鬱屈した日々を送るハーディンだが、あるトラブルを切っ掛けに再起を図ることになる。
どう見てもハーディンは文才のあるような男とは思えないし、彼の仲間たちにしてもチャラチャラした軽量級の奴らばかり。加えて前作までに語られていたらしい人物関係がハッキリしないので、序盤は(個人的には)盛り上がらないままだ。しかし、舞台がリスボンに移ってからはイッキに目が覚める。
ミュージック・ビデオを数多く手掛けたジョシュア・リースのカメラによるポルトガルの風景は、ため息が出るほど美しい。赤い屋根の住宅が続き、市電が走るリスボンの市街地。そして陽光がきらめく海岸の景観など、観光用フィルムも顔負けの仕上がりだ。この映像だけでも本作に接する価値はある。
荒んでいたハーディンの内面が、ナタリーをはじめとする周囲の人間によって徐々に改善していく様子は、型通りとはいえ悪くはない。そして、父親が彼に言う“たとえ結果として上手くいかなくても、真心を込めて全力でやれれば、それで「成功」なのだ”というセリフは、けっこう刺さった。カスティル・ランドンの演出は可も無く不可も無し。ハーディン役のヒーロー・ファインズ・ティフィンをはじめ、ジョセフィン・ラングフォード、ミミ・キーン、ベンジャミン・マスコロといった若手キャストは馴染みは無いものの、良くやっていると思う。
英国の若手作家のハーディン・スコットは、デビュー作「アフター」が好評を博したものの2作目が書けず酒に溺れる毎日だ。1年以上のスランプ状態のまま、彼は気分転換を兼ねて過去に付き合いのあったナタリーの住むリスボンに向かう。ハーディンには「アフター」執筆時にテッサ・ヤングという恋人がいて、小説の内容が彼女との関係性を赤裸々に綴っていたものらしく、そのためテッサは彼の元を去って行った。だがハーディンは彼女のことを忘れられず、それがスランプの原因の一つでもあったのだ。リスボンでも新作の構想は浮かばず鬱屈した日々を送るハーディンだが、あるトラブルを切っ掛けに再起を図ることになる。
どう見てもハーディンは文才のあるような男とは思えないし、彼の仲間たちにしてもチャラチャラした軽量級の奴らばかり。加えて前作までに語られていたらしい人物関係がハッキリしないので、序盤は(個人的には)盛り上がらないままだ。しかし、舞台がリスボンに移ってからはイッキに目が覚める。
ミュージック・ビデオを数多く手掛けたジョシュア・リースのカメラによるポルトガルの風景は、ため息が出るほど美しい。赤い屋根の住宅が続き、市電が走るリスボンの市街地。そして陽光がきらめく海岸の景観など、観光用フィルムも顔負けの仕上がりだ。この映像だけでも本作に接する価値はある。
荒んでいたハーディンの内面が、ナタリーをはじめとする周囲の人間によって徐々に改善していく様子は、型通りとはいえ悪くはない。そして、父親が彼に言う“たとえ結果として上手くいかなくても、真心を込めて全力でやれれば、それで「成功」なのだ”というセリフは、けっこう刺さった。カスティル・ランドンの演出は可も無く不可も無し。ハーディン役のヒーロー・ファインズ・ティフィンをはじめ、ジョセフィン・ラングフォード、ミミ・キーン、ベンジャミン・マスコロといった若手キャストは馴染みは無いものの、良くやっていると思う。