クラシック音楽のCDやレコードの評論誌「レコード芸術」(音楽之友社)が、去る2023年6月20日発売の同年7月号をもって休刊した。同誌の創刊は1952年3月であり、70年あまりの歴史に幕を下したことになる。同社の説明では、休刊の理由は“近年の当該雑誌を取り巻く大きな状況変化、用紙など原材料費の高騰などの要因による”とのことだが、つまりは雑誌というメディア自体が直面した逆風を避けられなかったということだろう。
実を言えばこの雑誌は私も若い頃に購読していたが、ネットの普及と共に同誌を含めた雑誌全般を買わなくなっていた。かくいう私が述べるのも何だが(汗)、いくら雑誌の売り上げが左前になったといっても、雑誌メディア自体が衰退して良いとは思わない。「レコード芸術」誌についても紙媒体での発刊が難しいならば、Web上での存続という手も考えられたはずだ。しかし、それでもこの“評論誌”という体裁を保つのは困難だったと想像する。
エンタテインメント部門における“評論誌”の居場所というのが無くなってきたのだと思う。今や音楽はネット経由で(音質面で多くを望まなければ)いくらでも聴ける。リスナーはネット側が勝手に提示してくれるオススメ音源やプレイリストを“つまみ食い”状態で味わえる。その取捨選択の基準になるのはリスナー個人の好みだけ。あとはせいぜいがSNS上に展開される、どこの馬の骨とも分からない者たちの意見ぐらいだろう。
しかし、だからといって“音楽なんて個々人の好みで勝手に選べばいい”とは言い切れない。特にクラシック音楽については学校教育のカリキュラムにも取り入れられていることでも分かるように、教養の一環として扱われている。音楽鑑賞についても、識者による権威というか、一種のリファレンスが必要であるはずだ。「レコード芸術」誌に載っていたリリースされたディスクに関する詳細なデータや、評論家たちのレビューはその権威を反映するものだった。
もちろん、リスナーによっては評論家の意見に賛成できないことも多々ある(私もそうだ)。だが、クラシック音楽についての深遠な知識を持った評論家たちの論評、およびそれを掲載した信頼できる媒体があってこそ、聴き手の個人的な意見も存在価値はあり得たのだ。素人同士で個的な好みを吐露し合うだけでは、何ら教養をカバーできない。
とはいえ、教養に背を向けても良いようなサブスク時代の音楽の聴き方にあっては、「レコード芸術」誌に載っているような玄人のウンチクは余計なものと片付けられても仕方がない。それどころか、すべてがコスパだタイパだと効率のみが優先される風潮にあっては、クラシック音楽の鑑賞自体も非効率なシロモノだと見做されるかもしれない。
ただし、昨今のアナログレコードの復権が象徴するように、音楽に対してじっくり向き合うリスナーも少なくないのだ。リリース情報の整理や評価、およびその価値判断基準の提示といったリファレンスを伴ったメディアは今後も必要だと思う。「レコード芸術」誌は無くなっても、それに準じた情報発信元の創設を(小規模でも良いので)望みたいところだ。
あと余談だが、実家の書棚の奥にあった「レコード芸術・別冊 新編 名曲名盤500」(87年版)を、私は今でもクラシックのディスクを購入する際の参考にしている。執筆陣も充実していて、信用するに値する内容だ。同じ趣旨の別冊はその後も何回かリリースされているが、情報量においてはこの古い87年版が一歩リードしていると思う。これからも重宝していくことになるだろう。