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Channel: 元・副会長のCinema Days
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ヘンリック・イプセン「野鴨」

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 ノルウェーの劇作家イプセンの作品は若い頃に「人形の家」を読んだだけだが、今回久々に手に取ってみたのが本書。1884年刊行の本作は、悲喜劇のジャンルで最初の現代の傑作と見なされているらしいが、実際目を通してみると実に含蓄の深い内容で感心した。主人公たちの思慮の浅さには呆れるしかないが、それは傍観者である読み手の立場だから言えること。このような図式は現代においても変わらず存在している。

 豪商のヴェルレは阿漕な遣り口で財を築き、亡き妻に代わってセルビー夫人との再婚を控えていた。息子のグレーゲルスはそんな俗物の父を嫌い、家を出て写真館を営む友人のヤルマールの家に身を寄せる。ヤルマールは父と妻ギーナ、そして13歳になる娘ヘドウィックの4人暮らし。貧しいけれど彼らはそれなりに幸せな日々を送っていたのだが、グレーゲルスはそんな有様を“欺瞞だ!”と決めつける。

 グレーゲルスは結婚前にヴェルレの屋敷で働いていたギーナの“過去”を暴いたのを皮切りに、家族の本当の姿すなわち“現実”を曝け出すことこそが理想であると主張。そんなグレーゲルスの思想に簡単に感化されてしまったヤルマールは暴走を始め、やがて当のグレーゲルスの手に負えないほどの事態に発展する。

 昔、某漫画家がリベラルな左傾の人々を揶揄して“純粋まっすぐ正義君”と呼んだことがある。今は左系統の者たちよりも、右傾のトンデモ言説にハマってそこから一歩も抜け出せない“ネトウヨ”と言われる連中の方が多くなったような雰囲気だが、右だろうが左だろうが手前勝手な“世界の正義”を振り回すばかりではロクなことにはならない。

 厄介なことに、この“純粋まっすぐ正義君”のスタンスは“伝染”するらしく、特にヤルマールのように凡夫でありながら自意識ばかり強い人間は容易にハマってしまう。世間を騒がせているカルトの存在も、それと無関係ではないだろう。“純粋まっすぐ正義君”の陥穽に引っ掛からないためには、確固とした現実主義と“公”の意識が不可欠なのだが、あいにくそれらを会得するには精進が必要。だが“純粋まっすぐ正義君”にとってはイデオロギーにかぶれること自体が精進だと勘違いして、そこから前に進まない。

 ヤルマールの家は野鴨をはじめ動物を多数飼っているが、それらに対する態度が誤った主義主張のメタファーになっているあたりが玄妙だ。この「野鴨」は現在に至るまで舞台劇は継続的に上演されているが、映画は戦前にドイツで作られただけだという(サイレント作品)。題材は決して古くは無いので、現時点でも映像化は価値があると思う。

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