(原題:MIENTRAS DURE LA TORMENTA )製作は2018年で、2019年3月よりNetflixにて配信されている。珍しいスペイン製のSFミステリーで、一筋縄ではいかないストーリーが異彩を放っている。語り口も上手くて退屈はさせない。しかしながら、万全の出来ではない。まあ、本作に限らずタイムトラベル物が真に堅牢なプロットを提示することはあまり無いので、そのあたりは割り引いて考えるべきかもしれない。
バルセロナの総合病院に勤める看護師のベラは、夫のダビドと幼い娘グロリアと共に、ダビドの友人アルトルの家の近所に引っ越してくる。ある嵐の夜、彼女は家に放置されていた古いテレビに見知らぬ少年が映っていることに気付く。しかも相手とは通話可能である。その少年ニコは25年前に隣人男性が妻を殺害する現場を目撃しており、その後間もなく車にはねられて死亡することを知っていたベラは、彼に外出しないように忠告する。
翌朝、彼女が目を覚ますと何とグロリアは存在せず、そもそもダビドとは結婚もしていないことになっていた。どうやら過去が変わったことによって現在の状況が大きく影響を受けたらしい。ベラは娘を取り戻すべく、レイラ警部補と協力して事態の打開を図る。
ひょんなことで過去との交信が可能になったという設定としては、2000年製作のアメリカ映画「オーロラの彼方へ」を思い出すが、筋書きはあの作品の方が理に適っていた。対して本作は、過去の改変によって現状は別物になったはずなのに、ベラの“内面”だけはそのままだ。このパラドックスに関して、映画は疑問を呈するだけで納得できる説明を行なっていない。
終盤には怒濤の伏線回収モードに入るものの、細かく見るとアバウトな面が目立つ。そもそも、嵐が2つの時間軸をクロスさせるという設定ながら、その段取りとタイムリミットが上手く提示されていないので、サスペンスが盛り上がらない。しかしながら、ベラを取り巻く男女関係を前面に出したラブストーリーとして見れば、けっこうロマンティックで見応えがある。特にレイラの“正体”と、ベラとの今後の関係性を匂わせる処理は余韻が残る。
オリオル・パウロの演出はスピーディーで、ドラマが停滞することは無い。主演のアドリアーノ・ウガルテは好演だが、相手役のチノ・ダリンとアルバロ・モルテが醸し出すラテン系美男のフェロモン(?)は女性層に対するアピールは高いだろう。
バルセロナの総合病院に勤める看護師のベラは、夫のダビドと幼い娘グロリアと共に、ダビドの友人アルトルの家の近所に引っ越してくる。ある嵐の夜、彼女は家に放置されていた古いテレビに見知らぬ少年が映っていることに気付く。しかも相手とは通話可能である。その少年ニコは25年前に隣人男性が妻を殺害する現場を目撃しており、その後間もなく車にはねられて死亡することを知っていたベラは、彼に外出しないように忠告する。
翌朝、彼女が目を覚ますと何とグロリアは存在せず、そもそもダビドとは結婚もしていないことになっていた。どうやら過去が変わったことによって現在の状況が大きく影響を受けたらしい。ベラは娘を取り戻すべく、レイラ警部補と協力して事態の打開を図る。
ひょんなことで過去との交信が可能になったという設定としては、2000年製作のアメリカ映画「オーロラの彼方へ」を思い出すが、筋書きはあの作品の方が理に適っていた。対して本作は、過去の改変によって現状は別物になったはずなのに、ベラの“内面”だけはそのままだ。このパラドックスに関して、映画は疑問を呈するだけで納得できる説明を行なっていない。
終盤には怒濤の伏線回収モードに入るものの、細かく見るとアバウトな面が目立つ。そもそも、嵐が2つの時間軸をクロスさせるという設定ながら、その段取りとタイムリミットが上手く提示されていないので、サスペンスが盛り上がらない。しかしながら、ベラを取り巻く男女関係を前面に出したラブストーリーとして見れば、けっこうロマンティックで見応えがある。特にレイラの“正体”と、ベラとの今後の関係性を匂わせる処理は余韻が残る。
オリオル・パウロの演出はスピーディーで、ドラマが停滞することは無い。主演のアドリアーノ・ウガルテは好演だが、相手役のチノ・ダリンとアルバロ・モルテが醸し出すラテン系美男のフェロモン(?)は女性層に対するアピールは高いだろう。