まさか映画館で往年の“大映ドラマ”の類似品を見せられるとは予想もしていなかった。ただし、本作は昔の“大映ドラマ”ほど吹っ切れてはいない。そこまで開き直る度胸も根性も無いのだ。では何があるのかというと、サスペンス編あるいはシリアスな家族劇のような素振りを見せて、それを期待した観客を劇場に集めようという下心だろう。確かに、大芝居の連続であるブラックコメディという体裁では興行的に難しいが、だからといって看板に偽りありの姿勢が容認できるはずもない。
鉄工所に勤める夫と結婚したルミ子は、森の中の一軒家で暮らし始める。やがて長女の清佳が生まれるが、ルミ子は何かと世話を焼いてくれる母親に完全に依存している。そんなある日、火災が発生して家は全焼。仕方なくはルミ子は清佳を連れて夫の実家に身を寄せるが、そこには横柄な義母が待ち構えていた。湊かなえの同名小説の映画化だ。
宣伝には“女子高生が自宅の庭で死亡。事故か自殺か殺人か!”というような惹句が踊っていたが、それが作品の中身とほとんど関係が無いことは早々に明かされる。あとは親離れできないヒロインと、スネてしまったその娘、そしてお決まりの嫁姑の確執などが仰々しく展開されるのみだ。しかもその顛末にはリアリティが著しく欠如している。もちろん、タイトルにある母性の何たるかなど、まったくマジメに言及されていない。
ならばマンガチックなやり取りで笑いを取ろうという作戦に出ればいいものを、作り手にはギャグのセンスが備わっていないようで、大半のネタが上滑りしている。くだらないモチーフの羅列の果てに、取って付けたような結末を迎えるという、まるで世の中をナメたような所業には閉口するのみだ。監督の廣木隆一は今年(2022年)だけで5本も撮っているという多作家だが、映画の密度はそれだけ薄くなっているようだ。製作側は、意欲はあるのに仕事にありつけない作家に職を回すべきではないのか。
年齢が10歳ぐらいしか違わない戸田恵梨香と永野芽郁が親子役だったり、義母に扮した高畑淳子やルミ子の実母を演じた大地真央が失笑するようなオーバーアクトを見せたり、三浦誠己や中村ゆり、吹越満らが臭い演技を披露したりと、キャストも迷走気味。マトモなのはルミ子の義妹に扮した山下リオぐらいだ。とにかく、観る必要のない映画である。
鉄工所に勤める夫と結婚したルミ子は、森の中の一軒家で暮らし始める。やがて長女の清佳が生まれるが、ルミ子は何かと世話を焼いてくれる母親に完全に依存している。そんなある日、火災が発生して家は全焼。仕方なくはルミ子は清佳を連れて夫の実家に身を寄せるが、そこには横柄な義母が待ち構えていた。湊かなえの同名小説の映画化だ。
宣伝には“女子高生が自宅の庭で死亡。事故か自殺か殺人か!”というような惹句が踊っていたが、それが作品の中身とほとんど関係が無いことは早々に明かされる。あとは親離れできないヒロインと、スネてしまったその娘、そしてお決まりの嫁姑の確執などが仰々しく展開されるのみだ。しかもその顛末にはリアリティが著しく欠如している。もちろん、タイトルにある母性の何たるかなど、まったくマジメに言及されていない。
ならばマンガチックなやり取りで笑いを取ろうという作戦に出ればいいものを、作り手にはギャグのセンスが備わっていないようで、大半のネタが上滑りしている。くだらないモチーフの羅列の果てに、取って付けたような結末を迎えるという、まるで世の中をナメたような所業には閉口するのみだ。監督の廣木隆一は今年(2022年)だけで5本も撮っているという多作家だが、映画の密度はそれだけ薄くなっているようだ。製作側は、意欲はあるのに仕事にありつけない作家に職を回すべきではないのか。
年齢が10歳ぐらいしか違わない戸田恵梨香と永野芽郁が親子役だったり、義母に扮した高畑淳子やルミ子の実母を演じた大地真央が失笑するようなオーバーアクトを見せたり、三浦誠己や中村ゆり、吹越満らが臭い演技を披露したりと、キャストも迷走気味。マトモなのはルミ子の義妹に扮した山下リオぐらいだ。とにかく、観る必要のない映画である。