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Channel: 元・副会長のCinema Days
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「夏の終り」

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 何やら熊切和嘉監督としては“方向性を間違えた”ような感じの映画である。彼の真骨頂はダメ人間を容赦なく描くところにあると思うのだが、どう考えても本作のヒロインは“ダメ”ではなく、それどころかアグレッシヴでとことん前向きだ。この違和感が最後まで拭いきれない。

 瀬戸内寂聴による自伝的小説の映画化だ。昭和30年代、藍染め作家の知子は売れない作家の小杉と半同棲生活を送っていた。小杉には妻子があり、彼は自宅と知子の家とを気ままに行き来している。しかも、そのことは妻も承知済だという。また知子には涼太という若い愛人もいて、時折逢瀬を重ねている。

 知子には離婚歴があり、それもかつての夫に自分から“好きな人が出来たから別れて欲しい”と繰り出すという、当時としては女傑的な振る舞いを平気でおこなう女である。藍染めの仕事も順調で、私生活では渋い中年と若い二枚目とを手玉に取り、小杉の妻の食えない態度に時たま不満がありそうな表情はしてみるが、自分の行く末をこれっぽっちも悲観していない。まるで熊切作品とは相容れないキャラクターだと言える。

 あまり慣れていないタイプの登場人物を画面の中心に据えているためか知子の描き方は表層的で、観ている側に少しもアピールしてこない。扮する満島ひかりの卓越した演技力をもってしても、キャラクター造形の面では及第点には達していないのだ。

 ならばこの映画において一番重点的に描くべきで素材は何だったのかというと、それは綾野剛が演じる涼太でなければならない。涼太は知子のかつての駆け落ち相手だったが、今では彼女の熱も冷めて“どうでも良い相手”に成り果ている。ところが、小杉との関係がマンネリズムに陥ったことをきっかけに、知子は再び涼太と懇ろになってしまう。

 彼はそれが知子の“一時の気まぐれ”であることを承知しつつも、未練がましい状態に自分を置いてしまう。もう、どうしようも無いほどのダメっぷりだ。この涼太の性格を突き詰めていけば、ダメさの果てにある“何か”を垣間見せようという熊切監督得意のパターンに持って行けたのだが、本作の企画自体がそういう仕組みにはなっていない。

 では小林薫が扮する小杉はどうかというと、確かに大ヒットしそうもない小説を手掛けてはいるが、コンスタントに仕事は来るようだし、決して社会の落伍者ではない。いずれにしても、この監督に適したキャラクターではないのだ。

 彩度を抑えたストイックな映像と静かなドラマ運びで、一応文芸ものとしての雰囲気は醸し出しているが、焦点の定まらない作劇では感銘度も期待出来ないだろう。

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